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   <title>退屈帝国 Neo2/にょにょ</title>
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   <updated>2012-04-26T04:21:36Z</updated>
   <subtitle>西澤羊爾x月野定規によるつれづれブログ。</subtitle>
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   <title>のりたま日録５</title>
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   <published>2012-04-26T04:12:00Z</published>
   <updated>2012-04-26T04:21:36Z</updated>
   
   <summary>このところサボっているが、基本設計ミーティングは毎週続いている。だんだんプランの...</summary>
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      このところサボっているが、基本設計ミーティングは毎週続いている。だんだんプランの精度が高くなって、Kさんとセンチ単位でプランニングをああだこうだと進めているのである。
雑談の中で、建築家が模型をどう扱うか、という話をうかがう。Kさんも妹島和代も青木淳もみんなそれぞれに方法論が異なるという話が興味深い。あと、青森県立美術館のこととか、金沢21世紀美術館とキルヒナー美術館の関係とか。
      
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   <title>のりたま日録４</title>
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   <published>2012-04-06T04:16:29Z</published>
   <updated>2012-04-06T04:23:25Z</updated>
   
   <summary>昨夜、Ｋさん事務所で4回目の基本設計ミーティング。 いよいよ正式に「設計監理委託...</summary>
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      昨夜、Ｋさん事務所で4回目の基本設計ミーティング。
いよいよ正式に「設計監理委託契約書」を取り交わす。少ない予算と限られた時間の中、僕らの無理な希望を涼しい顔で次々と叶えてくださるＫさんと所員の皆さんには感謝の言葉もない。
改めてよろしくお願いいたします。

そして今朝、ほぼ固まりつつあるイメージをもとに、同居することになる母親にもプランの説明をする。おおむね納得してもらったが、変更部分も出てきそう。またまたＫさんに相談しなくちゃである。
 
      
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   <title>住宅哲学７　「例外状態」としての基本設計</title>
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   <published>2012-04-03T05:29:19Z</published>
   <updated>2012-04-04T03:24:49Z</updated>
   
   <summary>施主が建築家と取り結ぶ関係というのはどういったものだろうか。 建築家とは建築の専...</summary>
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      施主が建築家と取り結ぶ関係というのはどういったものだろうか。
建築家とは建築の専門家だが、専門家というのはそれぞれの専門的な言語体系を身につけた者という意味であろう。
弁護士なら法という言語体系を、医者なら医学という言語体系を共有するように、建築家は広義の建築言語を共有する専門家集団の一員である。
彼らは（顧客であり素人である）僕らの行為や意思を専門的な言語体系に置換する。
弁護士ならばそれを法言語に「翻訳」（代行＝表象）するし、医者は我々の身体の症候を医学言語として「解釈」する。
しかし建築家がおもに行う仕事は、それらともどこか異なっているように思われる。
      <![CDATA[たしかに建築家は私たちの（住宅を建てたいという）欲望を「設計」を通じて専門家集団（施工業者）に「翻訳」するのだが、しかし建築家の役割はそれだけではない。「設計」は僕らの欲望を透明に表象するのではなく、そこに建築家自身の「欲望」を介入させることをこそ期待されているからだ。
また、建築家は医者が病人の「身体」を診断するように施主の選んだ「土地」の特性を分析し、その場所にふさわしい解法を導く。しかし医者が症候の原因を特定して、それを治療することで「症候」を解消させるのだとすれば、建築家はそれを「幻想」として実現（現実化）するのだ。
これはじつは精神分析における分析家と「分析主体」（分析される側）との関係に似ていないだろうか。じじつ、僕らの「家を建てたい」という欲望は3.11に起因する症候だったのであり、僕らがＫさんにそれを訴えることで、期せずして分析家としての役割を依頼していることになるのではないか。
フロイトのWo Es war,soll Ich werdenという有名な言葉は、かつては「自我はエスを追い出さなければならない」という治療的な観点から理解されていた。
しかしラカンのように「エスのあったところに自我を生成させよ」と理解するならば、これはそのまま建築家のマクシムであるようにも思える。

設計のプロセスは、設計の基本的な方向性を決める「基本設計」と、実際に施工するために必要な設計図書を作成する「実施設計」とにわかれる。後者には施主が関わる場面はほとんどない（と思う）が、前者には施主の意向が大きく反映される。芸術家個人の孤独な表現だった近代芸術と比べて、ここが大きく異なるということは以前書いた。

別の観点からすれば、「基本設計」の段階での建築家と施主との関係は「議会」と「大統領」の関係に似ているようにも思える。カール・シュミットは「主権者」を「例外状態において決定を下す者」と定義したのだが、「基本設計」とは要するに「例外状態」なのであり、そこにおいて最終的な決定を下すのは施主の側である。建築家からみれば、近代的な個人芸術としての「建築」は施主に主権（決定権）を剥奪される以前に段階にしか存在しない。つまり無限に続くスタディとしての「アンビルト」にこそ「建築」の本質があるという考察はここから生じる。
逆にいえば、実際に施工された建築物は「建築」の廃墟に過ぎないという磯崎新のような思考は、潜在的に切断＝決定をめぐるファシズムへの媚態を秘めているのだ。

（ちなみに建築家は—特にマスメディアに対しては—しばしば施主という存在＝問題を単なる与件（与えられた条件、データ）として矮小化した議論しかしない。そうした業界向けの論議の典型として、最近ではたとえば「10+1」掲載の論考「2000年以降のスタディ、または設計における他者性の発露の行方」を読んだ。僕はこの種の「アート」っぽい抽象的な「他者」を振り回す論理には、正直もうウンザリしている。というか、隈研吾が<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120330/230383/">経済誌web</a>（笑）で語っていたように、これはきっと「ビルバオ」以降に顕著な「ギャラリー」に同伴した錬金術の論理なのだ）]]>
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   <title>のりたま日録３</title>
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   <published>2012-03-29T03:15:06Z</published>
   <updated>2012-03-29T03:23:47Z</updated>
   
   <summary>昨夜、Ｋさん事務所で3回目の基本設計ミーティング。 前回提示されたスタディを手掛...</summary>
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      昨夜、Ｋさん事務所で3回目の基本設計ミーティング。
前回提示されたスタディを手掛かりに、自分たちの希望をあれこれ聞いていただく。
個々の場面場面のイメージがだんだん具体的になってくるとともに、住宅全体の主題も明瞭になってくる。
「巨大なスクリーンに対面する劇場のような住居」だ（スペクタクル！）。
ただその場合、やはり「階段」をどうレイアウトするかが最大の課題になってくるかもしれない。
      
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   <title>のりたま日録２</title>
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   <published>2012-03-22T04:24:59Z</published>
   <updated>2012-03-22T08:13:00Z</updated>
   
   <summary>昨夜、Ｋさん事務所で2回目の基本設計ミーティング。 建物の輪郭がはっきりしてくる...</summary>
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      昨夜、Ｋさん事務所で2回目の基本設計ミーティング。
建物の輪郭がはっきりしてくるとともに、生活の輪郭も徐々に想像が膨らんでくる。
ここを会社の事務所にして、あそこを書庫にして、じゃあ自分の原稿は1階のこのテーブルで書こうかなあとか。その時家族はここにいるのなあ、とか。
つうか、問題は夫婦それぞれの職場を住宅に押しこめてしまったから、荷物の量がハンパないのだ。
収納どうする？　というのが最大の悩みとなりそう。

      
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   <title>住宅哲学６　制作物としての住宅</title>
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   <published>2012-03-19T03:59:44Z</published>
   <updated>2012-03-22T04:24:47Z</updated>
   
   <summary>前回「住宅」は「建築」でも「インフラ」でもない、と書いた。住宅は「小説」と同じく...</summary>
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      <name>石川義正</name>
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      前回「住宅」は「建築」でも「インフラ」でもない、と書いた。住宅は「小説」と同じく、近代に誕生した「雑」＝多声的な生産物なのだ。にもかかわらず、それは他の作品／製品に比較して特異ななにかである。
今回は視点を変えて、制作物としての住宅について考えてみよう。
      小説や絵画の場合、制作物に対して制作者が存在する。小説家であり、画家である。
彼らは個人で制作するか、制作過程を統括する立場（工房のマスター）にあるのだが、それが可能なのは「書く」「描く」と同時に「読む」「見る」という作業を行うからである。小説家は「書き手」と「読み手」という二つの人格を統合した存在なのだ。画家の場合も同様である（「描き手」であると同時に「観客」）。
彼らの視点＝人格が「生産」と「消費」の場を同時に占めることで、制作物に全体的で超越的な視点を与えることができる。個人の「作品」としての近代絵画は遠近法とともに誕生したのだが、ベラスケスの「侍女たち」にみられるように、そうした消費＝生産の場の表象として遠近法の「消失点」を設定したことを意味している。

映画や音楽の場合はどうだろうか。
映画監督の仕事とは、あるいはオーケストラの指揮者の仕事は「指示する」ことだが、それは「見る」「聴く」という行為を前提としている。彼らはじつは生産行為に直接には関わっているのではない。ふつうの意味で映画を「生産」するのは「俳優」であり、「美術」「音楽」等のスタッフであり、制作過程（工程）を統括する「プロデューサー」であって、極言すれば「監督」なしでも映画制作は可能である。監督の仕事とは、要するに彼らの生産行為を見ていることである。プロのオケは指揮者なしでも演奏できる。
にもかかわらず、映画監督や指揮者という視点（人格）が制作の過程で要請されるのは、生産に関わる複数の視点を繰り込んで一つの作品に定着させる全体的で超越的な視点（人格）を設定する必要があるからだ。だから監督や指揮者はほとんど「消費者」だともいえるのであり、「消費者」を工程に繰り込むことで空間的・時間的な統一性を制作物に与えることが可能になるのである。
もちろんそうした超越性に対する批判的な動きが見られたのが20世紀後半である。
ジャズのインプロビゼーションは、それぞれの演奏者が同時に聴き手であるという複数の超越性を有する。しかしそれはあくまで全体性そのものの複数性であり、作品を担保する超越性は温存されている。
かつてテキスト論や記号論者で一世風靡した「間テキスト性」や「開かれた作品」は、ここでは「作者」の「消費者」としての側面を論じているとみなすことができる。「作品」は最初から「開かれ」ているのだから、「開かれた作品」はほとんど同義反復である。この種の議論の歴史的な限界は、「作者の死」という概念の射程が結局近代的な生産＝消費の回路に内属している点にあったはずだ。

大量生産される工業製品はどうか。この場合はモニタリングなどのフィードバックによって総体として疑似的に消費的な視点を取り込んでいる。逆にいえば、それは「疑似的」であるから「作品」たりえないのだ。工業製品は（たとえ小ロット、一品制作であっても）制作者＝消費者という自律的＝創造的な回路を持たないからこそ、近代的な「作品」概念に含みえないのである。

これらの制作物と比較して、やはり「住宅」が特異だと思われるのは、そうした全体的で超越的な視点（人格）が想定できない、という点にある。なぜか。

・住宅は工業製品である
住宅は工場（複数の工程）で製造される工業製品と似た性格を持つ。ハウスメーカーが手掛ける住宅はほぼそうしたものである。にもかかわらず住宅は基本的に大量生産（複製）がきかない（建設される土地の条件が異なる）から、モニタリングという手法を工程に織り込むのは限界がある。当たり前のことだが、制作中は施主も含めまだ誰もその住宅に住んだ経験のある人がいないのだ。

・多用途・多目的な作品である
これは自動車のような一般人が購入できる高額な製品に比べてもそうだし、公共建築や商業ビルのような他の建築物に比べてもそうである。どれほど小さくとも住宅＝生活の器であり、生活は一つの用途や目的に収斂できない。逆にいうと、公共建築でも多目的ホールや多目的競技場が演奏者や観衆にしばしば評判が悪いのは、一つの建築物が多用途性を消化しきれないからである。

・消費の形態の特異さ
もちろん建築家は工程の大部分を統括するが、しかし彼らは「消費者」ではない。それは住宅の「消費」期間が数十年というレンジを持つからである。もちろん建築家はその未来の時間を自身の職能的経験から仮想的に織り込むのだが、それにしてもやはり想像的なものにすぎない。
住宅の「消費者」はいうまでもなく住人＝施主なのだが、施主は工程管理を建築家に委任することで主体的に工程にかかわることはない（例外は「大草原の小さな家」のお父さんのように自分で家を建てる場合＝建築家の自邸である）。

つまり「住宅」はそれに対する全体的で超越的な視点が原理的に存在しえないという、近代の製品＝作品としてきわめて特異な位置を占めるのだ。
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   <title>住宅哲学５　なぜ「住宅」で「哲学」なのか？</title>
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   <published>2012-03-14T08:26:48Z</published>
   <updated>2012-03-14T08:48:13Z</updated>
   
   <summary>ところで、なぜ「住宅」で、なぜ「哲学」なのだろうか。 という問いの前に念のため断...</summary>
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      <name>石川義正</name>
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      ところで、なぜ「住宅」で、なぜ「哲学」なのだろうか。

という問いの前に念のため断わっておくが、この文章は「建築哲学」ではない。
建築に関する哲学とは建築の本質への問いであって、そうしたことは建築家や建築界――建築する人たち――が考えるべきことだし、実際考えているのだろう。

だったら「住宅哲学」とは住宅の本質について考えることで、それは住宅に住む人――つまり僕自身――が考えなくてはならない、と思うのである。たとえば毎朝何を食べるのか（あるいは食べないのか）を考えるのが、当人の「健康哲学」であるのと同じように。
じゃあ住人にとって住宅の本質って何なんだ？
      一般的に住人が住宅をどう考えているのか。「普通」の人びとがどういう基準で住宅を建てる（選ぶ）か、ということから想像するに、まずはガス・上下水道・電気・電話などといったインフラのみならず、交通の便や耐震性などを基準にするなら、それはほとんどインフラの条件である。建築的な観点というのは、せいぜい日当たりとか間取りといった条件だろう。
つまり住宅はインフラであり、同時に建築でもある。
たぶん建築的な要素が強いのが一軒家だろうし、住人の意識の中でほとんどインフラの端末にすぎないのが賃貸アパートの部屋だろう。
「住宅哲学」は住宅の本質を考えるというよりも、建築とインフラの狭間でもがいている自分自身について考えることである。

ふつう「建築」architectureに対して、社会基盤の整備を目的とするインフラ工事のことを「土木」civil engineeringという。ちなみに工事のことを大昔は「普請」といって、落語の「牛ほめ」は「普請道楽」の親戚を父親がアホの子の与太郎にどうにか誉めさせようという演目である。
土木と建築が分離するのは近代以降だから、僕らが考える「住宅」も当然この分離を前提としている。
土木のcivilからもわかるように、それはじつは市民の「一般意志」のようなものを前提としている。前に集合住宅を「インフラに近い」と書いたけど、近代の集合住宅は都市の社会基盤の整備のためにつくられたのだ。つまり集合住宅には市民の合意が前提とされており、僕らはそれをすでに承認しているということになっている。
そのような考え方からすれば、集合住宅は本来なら市民の公共財産のはずであり、僕ら住人（所有者）は一時その一部を私有（占有）しているにすぎない。
そうした市民の「共同体」のあり様（集合住宅の住民たちの共同体ではない）を肯定して、集合住宅ははじめて意味のある「建築物」となりうるのだ。
それは集合住宅に限らず、住宅の集合としての町並みも同じである。
欧米の都市にしばしば見られる美しい町並みは市民の「共同体」の表現であり、日本の雑然として醜悪な（といわれる）街並みはそうした「共同体」の意志の不在のあらわれである。

ところで、もし安藤忠雄と地元の無名の工務店とが、それぞれまったく同じ材料で、まったく同じ延床面積の住宅を同時に近所に建てたとしたら、その評価額はどのくらい異なるのだろうか。
たぶん銀行による査定では、どちらもそう大して変わらないんじゃないか、と思う。少なくとも安藤の住宅が無名氏のそれより100倍も高い、というような評価価格は想像できない。
これは絵画とかファッションとか広告コピーとかが、制作者の名前の有無によって天と地ほどにも値段に差が出る、という業界とまったく違うのである。
むしろ古井由吉の本の値段と、ポッと出の若手作家の本の値段にほとんど変わるところがない、というのにちょっと似ている。
もちろんそれぞれの価格が違う事情は様々なのだが、いずれにせよ「建築」や「文学」の固有の価値というのは社会的評価にほとんど関わりがない、ということは明らかである。
確かにそれらの作品は建築家や小説家の表現者としての個性の表出ではある。
しかし、社会的価値としてそれは「無に等しい」のだ。
たぶんその評価で価格に関わるのは、もっぱら住宅のインフラ的な側面に対してのみである。
だから建築家は建物の専門家として奉られても、彼らが都市計画や景観に関わることはほとんどない。
丹下健三が戦後の東京の都市計画に或る程度の影響を与えることができたとしたら、それは建築家というよりもむしろリサーチャーという役割としてである。
僕ら住人が「住宅」を都市の一部分として考えるとしたら、それを「建築と見なすことがない」のはある意味では当然なのだ。
逆に建築が社会的に無に等しいからこそ、僕らは建築の総和としての都市についてあれほど醜悪な景観を許しているともいえるのだが。

では住宅は十全にインフラなのか、というともちろんそれも異なるのである。
インフラが「一般意志」の表現だとしたら、日本の社会にはそもそも市民の「一般意志」なるものが存在しないのだから、インフラもまた存在しないということになる。
じじつ、3.11「フクシマ」以降明らかになったように、電力会社は電力＆設備を自社の財産としか考えていない（東電の社長は「値上げはわが社の権利である」とのたまわった）。
それは実際には住宅を社会基盤の一部ではなくたんなる私有財産としか思っていない僕らの意識と、まったく同じ構造のもとにある。

つまり僕らの「住宅」は「インフラ」でもなく「建築」でもない。
じゃあ「住宅」って何なんだ、僕らはいったい何をつくろうとしているのか？
まあ、そういうことを考えようと思うのだ、この「住宅哲学」では。
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   <title>住宅哲学４　集合住宅は建築か</title>
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   <published>2012-03-12T05:33:18Z</published>
   <updated>2012-03-13T04:48:56Z</updated>
   
   <summary>　中沢新一・伊東豊雄「建築の大転換」（筑摩書房）を読んだ。中沢についてはここで何...</summary>
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      <name>石川義正</name>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://ttn2.org/">
      <![CDATA[　中沢新一・伊東豊雄「建築の大転換」（筑摩書房）を読んだ。中沢についてはここで何度か論じたので触れない。伊東は中沢をブレーンにしているようだが、伊東が依拠するこの種の「反近代主義」の胡乱さは、その主張が都市にそのまま適用可能かどうか考えてみるとわかる。

おそらく伊東は、現在東北で試みているような建築を、彼自身の生活する東京やバルセロナに適用してみようとは考えないだろう。

<strong>「近代主義に基づく都市の均質空間は、経済性もあるし、高層化も容易ですし、人間の世界にさまざまな恩恵を与えてくれました。そのこと自体を否定するつもりはありません。しかし、一方で、近代主義的均質化によって人間がかなりスポイルされているという事実が間違いなく存在していて、「そうではない方向の建築もあり得る」という思いをずっと抱いていました。東北という、共同体＝社会が息づいている地域での復興計画に携わりながら、私はあらためて近代主義に基づく建築から大転換して、本来建築家のとるべき姿勢で、社会とかかわる建築に取り組んでいくのだという思いを新たにしています。」</strong>（「建築の大転換」）]]>
      <![CDATA[こうした文章が決定的にダメだと思うのは、近代の矛盾に自らが引き裂かれるのではなく、逆に矛盾によって自己の活動の正当性を担保しうると確信する姿勢にある。坂本龍一が脱原発を訴えながら日産の電気自動車のCMに出演するようなものである。都市のテクノクラートが示す機会主義とご都合主義の典型というしかない。平たくいいかえれば、田舎には田舎らしい生活があるでしょ、俺ら都会人は今のまま進んでいくけどね、という意味である。

中沢＝伊東の思想というのは、要は東北を新たな「第三世界」に措定することにあり、その論理はそこを都市から分離独立させるように動くしかないだろう。しかし単にそれだけでは都市圏と地方との格差、あるいは日本を含む先進国とそれ以外の世界との間に働く経済的・政治的な収奪の力学を温存することにしかならない。

もし「反近代」なるものを本当に実現するつもりなら、方途としてはおそらく大都市が自らをすすんで解体してみせるか、都市という概念そのものを変えてしまうしかないはずだ。

伊東がそこまで本気だというなら、とりあえず今すぐにでも釜石に住居と事務所を移転して、そこでも仕事を同じように続けるのが可能だと証明してみせるのが、まずは最低限のモラルというものだろう。

しかしそうした気配すら感じられないのは、自らの思考の退廃すら自覚できないほど「偉く」なってしまったからなのだろうか。

　　　　　　　　　　　　　　　＊
一軒家というのに暮らしたことがない。
これまでずっと賃貸アパートや分譲マンションで生活してきた。1960年代生まれだから、ちょうどこの種の集合住宅の建設が増えてきた時代だ。物心がついてから一人暮らしを始めるまで住んでいた２DKのマンションは、いわゆる母子家庭にはちょうどいい広さで、とりたてて特別な暮らしだと思っていなかった。
それがきわめて歴史的な制約に基づいている生活だと気づいたのは、ずっと後に磯崎新の「栖１２」（住まいの図書館出版局）のある一節を読んでからだった。

<strong>「（ハイデガーやミースによって）建築は廃棄されてしまいました。そして残っているのは《ダス・マン》収容所としての超高層ビル。これを横に寝かせたらアウシュヴィッツの収容所になります。垂直にするとマンハッタンです。共通しているのは《箱》ということ。蚕棚というべきでしょうか。」</strong>

80年代以降、集合住宅は量的には飽和しているし、容積率も緩和されて超高層の「億ション」というのも登場した。だが、にもかかわらずそれがある絶対的な「貧しさ」に結びついているとしたら、それは何なのか。貧困が経済的な問題であることもさりながら、これは生そのものの問題である。「強制収容所」＝生の貧困という問いはやはり存在するのだ。

貧困に関して、僕には今もなお抜きがたい偏見がある。貧乏を自称できるのは「親兄弟を養わなくてはならない者」だけだ、という。彼らはただ自分の稼ぎが少ないというだけではない。それは労働を強制される立場＝奴隷に等しいが、後者は近代的な意味で選択の余地がある（もちろん広義の環境によって決定されるから強制的でもある）。前者を階級的な貧困で、後者を環境的な貧困と呼ぶことが可能なら、今日メディアで話題にのぼるのはほとんど環境的貧困のほうであろう。しかし、それとは質の異なる階級的貧困というのもつねに存在してきたし、今も存在するのである。

僕の母親の前半生は典型的な階級的貧困のもとにあったが、そうした境遇から抜け出してかろうじて手に入れたのがささやかな２ＤＫのマンションだった。それを知識人に「強制収容所」呼ばわりされるのは、やはり感情的に承伏しがたいものがある。集合住宅を磯崎のように「強制収容所」＝環境的貧困に仮託するのは果たして正当なのだろうか。たとえば集合住宅は一軒家とどこがどう異なるのか。

集合住宅と一軒家の大きな違いの一つは、そこに施主が住むことを目的にしているかどうかにある。一軒家は（原理的には）施主がそこで暮らすために建てる（建売という形態もあるけど）。一方、集合住宅は施主がそこに暮らすためではなく、その部屋を賃貸したり、分譲したりするために建てるのである。要するに両者は建てる目的が異なる。見方を変えれば、一軒家には建てる＝住む「主体」が存在するが、集合住宅にはそれが完成するまで住む「主体」が存在しようがない。集合住宅を建てるという行為そのものに、住人の意志を加えることができないのだ。

だから集合住宅の建築に住人は「主体」的な関与ができない。特に分譲マンションの住人は所有者であっても「主体」ではない。本質的にその寄生者にとどまる。そうした寄生性の強制の度合いが極限に達したのが「アウシュヴィッツ」であろう。環境的貧困とは、つまるところ近代が強いる生の寄生者性に起因しているのだ。にもかかわらず、彼らは集合住宅に対してあたかも「主体」であるかのような「責任」を強いられる。アウシュヴィッツの住人はありとあらゆる「人権」を剥奪されたあげく、「ユダヤ人」であることの「責任＝負債」だけは強いられたのだった。これはあからさまな矛盾だが、この有り様はじつは民主国家に対する国民の「主体」のそれと同様である。その「主体」性を正当化するにために、たとえば「一般意志」のようなものが起源に遡行して捏造されなくてはならないのだ。しかし、1.0であろうと2.0であろうと、そんなものはもちろん存在しない（<a href="http://ttn2.org/archives/2012/01/inax.html#more">山本理顕他「地域社会圏主義」に触れた項</a>参照）。磯崎はやはり正しいのである。

おそらく集合住宅のこうした有り様は、建築というよりむしろ近代国家のインフラに近いのだ。岡崎乾二郎がメタボリズム批判として、そのインフラの本質主義的な側面を批判している（「理性の有効期限　理性批判としての反原発」、「述５」掲載）。鉄やコンクリートで作られたインフラは数十年で経年劣化するにもかかわらず、あたかも永久に存続するかのように設計されている。つまりコア部分の交換は不可能である。だから近代都市の破局はいずれ不可避なのだ。それは集合住宅も同じである。超高層マンションなどは恐竜と同じで、やがて一挙に破滅する運命にある。

では、交換（更新）可能なインフラ＝集合住宅というのは可能なのか。もちろんそんなことは理論的に不可能である、という事実を証明したのが柄谷行人の80年代の仕事であったのだから、今さらここで蛇足を加える必要もあるまい。]]>
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   <title>住宅哲学３　「スペクタクル」としての住宅／ローン</title>
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   <published>2012-03-01T13:25:04Z</published>
   <updated>2012-03-01T13:41:34Z</updated>
   
   <summary>　今日、Ｋさんの事務所で（仮称）「のりたまハウス」の基本プランについて初の打ち合...</summary>
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      <name>石川義正</name>
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      　今日、Ｋさんの事務所で（仮称）「のりたまハウス」の基本プランについて初の打ち合わせをした。その前から妙にフワフワと落ち着かない気分だったのだが、あとから考えると「家を建てる」という思いつきがついに現実となってしまう、という事実を前に、どうも気後れしていたにちがいない。人生最大の散財というか消費活動であって、これがつまり「スペクタクル」というやつなのか？　というか、要するに素人で気が弱い、というだけなのだけど。
　しかもＫさんにプランの方向性を提示してもらうと、これがどうもカッコよくなりそうである。Ｋさんがついに降臨した建築の神さんから授かった閃きに、独特の光＝空間を加えたコンテンポラリーな労作である。何かもっともらしい質問もした気もするが、じつは「こんなカッコよい家に住んでいいのか」と、やはり内心ビビリっぱなしなのだった。井の頭五郎に家具を注文しよ～かな～、などと言いながら帰宅。次回の打ち合わせが楽しみ。
      <![CDATA[　　　　　　　　　　　　　　＊
　以前ちょっと触れたように、今日、人びとが政府の住宅政策によって「家を持ちたい」と思わされている、というのはなかば以上の事実である。仕事に就き、結婚して子供を育てるという（今では）「普通」と考えられている生活を望むとすれば住居という建物で暮らすしかなく、その住居というのは親元で暮らす以外には自分の資力で購入するか賃貸するしかない。しかし戦後日本の場合、持家を望む国民（比較的裕福な階層であり、標準的な世帯が多い）が異様なまでに手厚く保護されるいっぽうで、賃貸という手段を選択する人びと（都市部の中間層以下の比較的貧しい階層、若年層に多い）の生活上の困難は意図的に放置されたままになってきた。平山洋介『都市の条件――住まい、人生、社会持続』はそうした現状を次のように記している。

　「戦後日本の住宅システムは、デュアリズムの枠組みをもち、社会的再分配の役割をほとんど担わなかった。中間層に対する持家取得支援が重視される一方、低所得層のための住宅供給は少量であった。公営住宅の制度は残余化し、公的な家賃補助制度は皆無に近い。この歴史的経緯の延長線上に起こったネオリベラリズムの政策転換によって、住宅保証の施策はいっそう減退した。」

　「デュアリズム」とは、公営住宅のような「社会賃貸セクター」の供給を減らして、企業が扱う賃貸住宅のような「民間賃貸セクター」から分離する方針を意味している。そうした住宅政策は「賃貸セクターを改善せず、持家セクターに資源を集中する。このバイアスは、住宅所有に対する欲求を間断なく刺激し、多数の世帯を持家取得に誘導する」。

　つまり戦後の日本で「まとも」な社会生活を営もうとすれば、家を買うしかない、と人びとに思わせるように国家が誘導してきたのである。たとえば戦前の日本には持家を生活に優位とする志向はほとんどなかったし、実際に国民が持家を保有する比率は――特に都市部では――低かった。国民の持家志向は決して生活上の自然な欲求に基づくものではない、むしろ政策的に仕組まれた欲望である。それは1990年代のバブル崩壊とその後のネオリベ的な住宅政策のもとでもほとんど変化がなかった。「デフレ経済下の負債はハイリスクである。にもかかわらず、住宅ローンを用い、持家を購入する以外に、住宅を改善する手段がほとんど見当たらない」のだ。人びとの「家を持ちたい」という欲望は、大部分そのような政策決定によって方向づけられたものだ。逆に言えば、「家を持ちたい」という欲望によって、人びとの生のあり方が規定されるのである。それはフーコーが「生政治」と呼ぶ当のものの典型的な例ではないだろうか。

　しかし「家がほしい」という欲望は、ほんとうにそうした政策決定だけで形成されてきたのだろうか。どうもそうではない気がする。たとえその欲望の方向性が誘導され歪められたものであったとしても、安定した「暮らし」に対する欲望じたいは人びとの中に「ごく自然に」発生するものであるように思われるのだ。あるいは欲望そのものがすでに「偽造」されているのだろうか。戦後の小説で「家を建てる」物語といえば、まず想起されるのが小島信夫の『抱擁家族』（今日なお影響力の衰えない江藤淳の評論『成熟と喪失』で大きく扱われた作品でもある）にこんな一節がある。

<strong>　「俊介はいつのまにか、楽園が家の中に出現すると思うようになっていた。」</strong>

　これは主人公（俊介）が新しく家を建てるにあたって、敷地にプールをつくろうと夢見た部分だ（なお、小島信夫の家の設計をしたのは先日亡くなった広瀬鎌二）。ここで「家を建てる」のは一言で1950年代の「戦後復興」の隠喩といっても間違いではない。「楽園」とは高度経済成長期の核家族的な世帯の希望と期待に関わっている（もちろん『抱擁家族』は主人公の妻がアメリカ兵と密通し、建てられた家は雨漏りだらけ、という経済成長の内実を暴露する小説なのだが）。つまり「楽園」とは追い求められるべき「イメージ」と化した経済成長それじたいである。

<strong>　「夫婦がプールで泳いでたわむれている。それから芝生の上で抱擁しながら倒れる。そばらく横になっている。彼女の贅肉の一つ一つを自分の贅肉の一つ一つにじかに感じているのだが、空想の中では、俊介も妻も贅肉をおとしてずっと若々しい。まるで勇気をたしかめているみたいだ。それから寝室、自分は彼女を子供のように抱いていたい。自分の身体のように彼女も重いのだが。二十代の時の何倍も自分はバラ色にあこがれている。」</strong>

　そうした「イメージ」の逆らいがたい魅惑（実際、俊介の妻はセイレーンのようではないか？）を、ギー・ドゥボールにならって「スペクタクル」と呼ぶことが可能かもしれない。「スペクタクルが根ざしているのは豊かになった経済の地盤であり、まさにそこから（中略）最終的にスペクタクルの市場を支配することになる果実が生まれる」（『スペクタクルの社会』木下誠訳）。

　「スペクタクル」は「商品のフェティシズム」（マルクス）に基づいている。それは「生きられたもの（経験）すべてを支配する商品の世界」であると同時に、「あらゆる商品の一般的等価物」（貨幣）でさえある。「そこでは、社会全体のありうる姿、また、社会全体がなしうることと一般的に等価なものとして、商品世界の全体が一括したかたちで姿を現す」。

　スペクタクルによって生のすべての局面が商品化される。標準世帯の家族の多くは住宅を建てるために人生のなかば以上を使い果たす。住宅（もしくはそれを可能にする銀行融資）はそこに生きる人びとの生の全面的な商品化をもたらすのだ。つまり住宅とは「社会全体のありうる姿」そのものである。「今日では、その支配を逃れるものは何もない。スペクタクルは現実全体と混ざり合い、その現実のなかに行き渡ってしまっている」（『スペクタクルの社会についての注解』木下誠訳）。そこではもちろん何よりもまず人びとの「欲望」こそが「商品理性の意志」と化したということなのだ。

　ちなみにドゥボールは「スペクタクル」を「集中的」「拡散的」の二種類に分類している。前者は全体主義的な官僚制（ファシズムやスターリニズムのような）によるスペクタクルを指し、後者は豊かな資本主義（戦後アメリカのような）が実現したスペクタクルである。そして冷戦終結後の「グローバリゼーション」のような世界システムを指して「統合されたスペクタクル」と表現するのだが、じつは戦後日本において「住宅ローン」という手法を大規模に発動して経済復興を先導した最大の商品である「住宅」こそ「統合されたスペクタクル」と呼ぶのにふさわしいのではないだろうか。

（ここで詳論は避けるが、戦後アメリカの繁栄がルーズヴェルト政権以降のケインズ主義的な経済政策に基づいていたとすれば、それはスターリニズムやファシズムと同じく第一次大戦期に成立した「総動員体制」に分類することも可能である――じじつハイエクのような経済学者はそう見なしていた。つまり経済システムを冷戦時のイデオロギー的二元構造に基づいて論じる意味はすでにあまりないように思われる。むしろ当時から「自由主義世界の社会主義国」と揶揄された戦後日本は、ドゥボールが脱冷戦体制として論じた「統合されたスペクタクル」を体現していたと考えるべきだろう）]]>
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   <title>住宅哲学２　街路のような、動物園のような家</title>
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   <published>2012-02-26T06:21:00Z</published>
   <updated>2012-02-27T06:46:02Z</updated>
   
   <summary>　「標準世帯」のようではない家、というのはどのようなものなのだろうか。たぶん、そ...</summary>
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      　「標準世帯」のようではない家、というのはどのようなものなのだろうか。たぶん、それはいわゆるnＬＤＫモデルに適合するものではないはずだ。前にも書いたように、ＬＤＫというのは「核家族」を基準にした、Ｌ（リビング）・Ｄ（ダイニング）を中心に夫婦の寝室および子供（１～２名）の個室nが置かれるスタイルだ。ＬＤＫは家族が共有する場であると同時に接客スペースでもある。ＬＤＫモデルは仕事の時空間を外部に放り出すことで成立する。それはたとえば亭主がサラリーマンで昼間は会社に通勤する、というような不在の時間帯に家族の行動が同期している、ということである。簡単に言えば、オッサンが平日の昼間から家の中でブラブラしているようでは困るのだ。しかし僕らが必要としているのは、夫婦の部屋と母親（朝の早い老人）の部屋、そして夫婦それぞれの仕事部屋ということで、ＬＤは必ずしも求めていない。しかも僕らは昼夜を問わず家で働いている場合も多いし、妻はピアノを弾いたりオーディオで大きな音を聞くことが仕事の一部であったりするのだ。昼間から家族三人それぞれが非同期的に家の中をウロウロしているのである。
      　ぼくらがハウスメーカーに設計を依頼せず、建築家のＫさんに相談しようと思ったのはそのへんに理由がある。じつは当初ある大手ハウスメーカーで話を聞いたことがあるのだが、担当者にこちらの要望を伝えた次の日には基本設計プランが送られてきた。仕事が早いのにビックリというか、ほとんど自動販売機にコインを入れたら缶ジュースが出てくる感覚だが、要するにメーカーがあらかじめ持っているＬＤＫ的な基本プランに個々の要望をはめ込んでみただけ、という作り方なのだろう。それはそれで（特に時間的な、経済的な面での）メリットはいろいろあるのだけれど、僕らの生活スタイルはそもそもそういうのとかけ離れている。

　ＬＤＫというのは、もともとモダニズム建築の機能主義的な発想に基づいた設計プランである。ハウスメーカーの場合にはそこに住宅をマーケットで流通させるための合理化と単純化への志向が強く働いているのだけれど、じつは建築家の住宅にあってもＬＤＫ的な発想は抜きがたく存在している（たとえば最近復刊された八田利也――ハッタリヤと読む、若き磯崎新らの変名――の「小住宅設計ばんざい」（1958年）ではすでにそのことが指摘・批判されている）。20世紀以来の社会全体の核家族化にともなって、建築家の作る住宅もまた核家族という基準に否応なく囚われるしかないのだ。

　もちろん1980年代頃から標準的な核家族以外の、様々な生活スタイルをとる家族や個人が増えてきており、そうした状況に建築家も対応ようとしてきた。僕らの「変型核家族・職住一体型」とでもいうべき住宅もそうした潮流の一つといえるだろうが、家族スタイルの変容と個別化に対して、ＬＤＫのようにすべてをそこに落とし込める器のような標準プランが存在するはずもない。つまりは個々の事情に応じた個別の解しかありえないのだ。それは単なるモダニズム建築ではありえないだろう。

　ＬＤＫに限らず、モダニズム建築は本質的に核家族という価値を頂点とした単一的なヒエラルヒーとして成立している。それは言ってみればモノローグ的な体系である。しかし僕らが期待しているのは、住宅という器に核家族に収まらない家族が暮らし、しかも同時に職場（２つもある）でもあるという、ポリフォニーのような空間だ。

　「だからそれって「動物園みたいな家」よね。アフリカ象もオランウータンもカピバラも一緒に住んでいる」と妻は要約してみせた。僕らはそれぞれが動物園の動物のように種類も生態も異なる動物であり、しかも一方では動物園の中をうろうろ見てまわる観客のようでもある。動物ごとに各ケージに収まっているのでなく、サファリパークのように一つの場所に複数の動物たちの生活領域が重なり合っているような、といえばいいだろうか。象の好むインテリアと、オランウータンの好むインテリアと、カピバラの好むインテリアはそれぞれ異なるだろうし、見てまわる観客にもそれぞれの居場所の違いがわかる方が楽しいんじゃないか。だいたい動物だって夜寝る建物と、昼間僕らに姿を見せる場所は異なるはずである。「寝室と仕事場の雰囲気が同じだったら、さあ今から仕事をしようって気にならないじゃないの」と妻は言うのだ。たしかに僕も集中して原稿を書きたい時は、普段の事務所でなく街の喫茶店にパソコンを担いで出かけていくことが多い。空気を変えて、気分転換した方が新鮮なアイデアが浮かぶ気がする。

　それは一つの住宅の傘の下に住人それぞれの家（や事務所）が立ち並ぶ「街路のような家」でもあるだろう。たとえば原広司の自邸はそんな感じだったと思うが、僕らが望んでいるのはリテラルに複数の家（部屋）が共存するというよりも、各人の身体的な空間感覚が齟齬なく共存している、といったイメージである。もうちょっと抽象的な例で語るなら、モダニズム建築が「論理哲学論考」のヴィトゲンシュタインならば、僕らの希望は後期ヴィトゲンシュタイン、つまり「言語ゲーム」や「家族的類似」について論じた「哲学探究」のような家、とでも比喩できるだろうか。

　そこでふと連想したのはアドルフ・ロースのミュラー邸（1930年）である。あれはモダニズムのはしりのような住宅だが、そこに収まらない可能性を秘めている。装飾を排したキューブのような外観に対して、内部空間の差異（日本間みたいな部屋まである！）が独特な複数性を産出しているのだ。ロースの「ライムプラン」を実際に体験したわけではない（この住宅は写真ではわからないとよくいわれる）のでただの印象にすぎないけれど、しかし表面的な意匠を記号論的に操作してモダンのモノローグ性を打破しようとした（そしてあえなく失敗した）かつての「ポストモダン」建築とは違って、一つの空間に複数の場所、というモダニズムが捨象してきた豊かな生活の有り様を可能性として孕んでいたのではないだろうか。

　では、と、僕はふたたび考えてみるのだ。今日、一つの住宅空間に内包する複数の場所同士の「家族的類似」というのは、どのように生成されるのだろうか。それは小さな「ビッグネス」（コールハース）のようなものに担保されるのだろうか。あるいは（最近よくみられる）一種の環境論的なアプローチ？　藤森照信がいうゼロ年代の「分離派」のような？　でも、僕らにとってそれらはどうも違う気がする。僕らの解法は、むしろモダニズム的なものの内部から取り出してみせるしかないのではないだろうか。たとえば街路（プロムナード）をリテラルに解釈するのではなく、視線の複数性と物語性を同時に担保する「小説」のような概念として。すなわちル・コルビュジエ。
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   <title>のりたま日録1</title>
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   <published>2012-02-24T02:59:21Z</published>
   <updated>2012-02-24T04:15:15Z</updated>
   
   <summary>最近のＴＶのお気に入りは「孤独のグルメ」。松重豊が一人商売の苦さと不安をうっすら...</summary>
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      <name>石川義正</name>
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      最近のＴＶのお気に入りは「孤独のグルメ」。松重豊が一人商売の苦さと不安をうっすらと漂わせた「軽い重さ」とでもいったものを漂わせて、とてもいい。実際、昼ごろに妙に時間が空いてしまったときの行き場のなさを食欲で満たそうというのは、ボクにも覚えがあるのだ。

Project Japanをざっと読んだ。ポイントはやはり菊竹清訓の「自分の建築は旧地主階級からのプロテストだ」という驚くべき発言だろう。
それが事実なのかどうか（菊竹の今日の視点からの合理化なのか）は別にして、要するにメタボリズム（1960年）が建築界の小さな「保守合同」のようなものであった、ということだ。
菊竹のいう右派的旧勢力からアメリカ帰りの民主主義的エリート（槇文彦）、さらにアイロニカルな同伴者（磯崎新）まで巻き込んだ、この種の政治的「野合」を可能にしたのがメタボリズム＝「成長」神話である。
今日、メタボリズムの復権を唱える人々の意図がどのへんにあるのか、そのあたりから想像してみるべきだろう。
（もっとも、「野合」というのは実際にはちょっといいすぎで、要するに彼らがまだ学生に毛の生えた程度のキャリアしかない若者で、将来の方向性など海のものとも山のものとも知らなかった、というのが実態なのだろうけど）

さて、明日は建築家Ｋさんのオープンハウスに伺う予定。画家の個展に行ったことはあるが、建築家の内覧会というのは初めて。わくわく。晴れるといいな。
      
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   <title>住宅哲学１　家を建てるということ</title>
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   <published>2012-02-17T12:23:42Z</published>
   <updated>2012-02-18T03:51:00Z</updated>
   
   <summary>最近、暇にまかせてRem Koolhaasの新刊Project Japanをぱら...</summary>
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      最近、暇にまかせてRem Koolhaasの新刊Project Japanをぱらぱらと読んでるんだけど、これはメタボリズムについてのインタビュー集でありながら、日本について基本的な知識のない読者のために簡潔に近代史を説明してくれて、ボクのような者にもなかなか勉強になる。
で、その内容と直接関係があるというわけではないんだけど、これから時々この退屈ブログで「住宅哲学」と題して（「衣裳哲学」のもじり）、住宅や建築にかんするあれこれを徒然なるままに書き散らかしていきたいと思う。
なぜそんなことを書くのかというお話は、まあ、おいおい触れていくことにして。
      <![CDATA[<strong>■家を建てるということ</strong>

　人はなぜ家を建てようなどと考えるのだろうか。しかもこの東京という場所で。あの3月11日の大震災のあとになって。

　ただ自分の家がほしかったからだ、ととりあえずその問いに対してそう答えてみることにしよう。だがその断言はすぐにあやふやな疑問に取り巻かれてしまう。生活するためなら何もわざわざ家を買わなくても、賃貸すれば十分じゃないか。そもそも家を買うどころか、住む部屋さえ持てない人がたくさんいるというのに、今時そんな欲望をあからさまに公言するのは傲慢ではないのか。

　たしかにそうなのかもしれない。じゃあもう少し一般論めかしてこんな答えかたをしてみよう。家を建てようなどと考える人は、その人が暮らす社会によって無意識のうちに欲望を誘導され強制されている、というものだ。つまり僕らは家を買うのではなく、買わされるのである。具体的には戦後の高度経済成長期に政府が制度をつくり、現在もなお経済政策の柱の一つである「持ち家政策」によって、ということである（＊後述の「スペクタクルとしての住宅／ローン」参照）。

　持ち家を買い、そのための多額の費用を住宅ローンとして金融機関から借金し、その返済のために30年を超える期間で返済し続けるという仕組みが完成したのは1960年代に遡る。成人男性の多くが企業に勤めるサラリーマンとして雇用され、かれらが妻と1～2人の子供を養う家庭をつくる、というライフスタイル（標準世帯）が一般化した。日本の社会は「冷戦」体制のもとでそれなりの平和と安定を維持し、そのシステムが未来永劫維持されていくという幻想を抱くことができた時代だった。

　しかし冷静体制の崩壊後、1990年代に急速に拡大した「グローバリゼーション」のもとで人びとの生活環境は一変した。いわゆる「中流階級幻想」は崩壊し、「格差社会」と呼ばれる不安定で流動性の高い状況に国民は投げ込まれた。端的にいえば、将来まで安定した人生設計をある程度見通せる階層が急速に減少したのである。しかも2008年の「リーマン・ショック」以降の世界的な恐慌で経済的に破綻する人びとはさらに増加した。

　それだけではない。2011年3月11日以降、持ち家のリスクは高まっている。資産としての持ち家は、地震や津波で破壊されればただの不良債権である。人びとは住処を失い、しかもそれだけでなく手元には莫大な借金だけ残されることになる。今後、日本列島では壊滅的な巨大地震が増加するという研究報告もある。いつ、どこにカタストロフィが訪れるのかだれにもわからない。もしそうだとすれば、たぶん持ち家より賃貸住宅で暮らした方が経済的にもライフスタイルとしてもずっと合理的な選択なのかもしれない。

　しかも地震による被害というだけでなく、福島第一原子力発電所の爆発によって放射能というリスクが顕在化した。福島およびその周辺地域に堆積した放射性物質がそこに住む住民に対して今後どのような致命的な影響を及ぼすのか、まだ誰にもわからない。雨風をしのぐ場所、という最低限の機能をこれまで「家」は果たしてきたのだが、しかし目に見えない放射性物質に対して住宅建築はまったく無力なままだ。もちろんそんなものを想定する必要がないと考えられてきたからだが、しかし同様かそれ以上の原子力災害を引き起こす可能性はほぼ日本中に存在している。だとしたら日本で暮らす人びとには今後、同じ土地で、社会的にも経済的も安定した生涯をすごそうなどという錯覚はもう許されないのだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　＊

　だとしたら、ぼくらはいったいなぜ自分の家を建てようなどと考えたのだろうか。しかもこの東京で。3月11日の大震災のあとになって。

　むしろこの震災がぼくらにとって家を建てようと決意するきっかけとなったのはたしかだ。ぼくと妻はたまたま震災の1年前の3月に晩い結婚をしたが、正直なところ結婚などが自分の身に降りかかってくるなどとはお互いに想像もしていなかった。ぼくも妻も40歳を過ぎていて、どちらも裕福というのにはほど遠いが、それまでに老後に備えて都心にそれなりの生活を続けられそうなマンションの一室を購入していた。80歳過ぎの老母と自分の居室、および自分の仕事をする事務所代わりの部屋のある3LDKというのがぼくの家で、ひとり暮らしだった妻は1DKのマンションである。結婚後、ぼくは妻のマンションの（二人で過ごすには）狭すぎる部屋に居を移し、3LDKに母親と事務所を残した。そして都内の西の自宅から東の自宅へと1時間かけて通勤することになったわけだが、そうした生活を続けるよりはぼくの母親と夫婦の3人でどこかで生活するほうがずっと経済的だろう、と話し合ってはいたのだ。

　ただしぼくたち夫婦は「標準世帯」として想定される家庭生活とは異なるスタイルで生活している。ぼくは企業や学校の印刷物を制作するささやかな事業を営んでいるし、妻は舞台の演出家で教師でもある。つまり二人とも自宅で生活するだけでなく、時間帯を問わず家で仕事をしている時間が圧倒的に長いのだ。その上、毎日夜の9時には床に就き、早朝に起床する老人もいる。そう考えるといわゆる「ファミリー・タイプ」のマンションでは生活にかなりの不自由を強いられることになるだろう。そうした家のほとんどは、今でもサラリーマンと主婦と子供という世帯を基準とした設計がなされていて、ぼくたちのような家庭は想定していない。だとしたら、自分たちで家を建てるしかないじゃないか、というのがぼくと妻の結論だった。

　じゃあ費用はどうしようか。それはふたりのマンションを売却して捻出すればいいんじゃないか。そうすれば多額の住宅ローンを抱えずにすむだろうし、なんだったら賃貸に出してその収入をローンに回してもいいかもしれない。それなら今の収入でもなんとか無理なく家を建てることができるだろう、というのが二人の目論見だったのだ。

　最大の難題。この社会の不安定さといつやってくるかわからないカタストロフィについて。3月11日からおよそ一月のあいだ、ぼくらは用事以外でほとんど外出せず、部屋でひたすらパソコンをいじっているか（情報を検索するよりも、ネットゲームに毎日ひたすら8時間以上もはまり込んでいた）、テレビをただ呆然と眺めているかのどちらかだった。本はほとんど読まなかった。

　どちらの口からともなく「家を建てよう」という考えが浮かんだのは、震災から3カ月ほど経ってからだった。今思うと家を建てるという考え自体が、たぶん自分たちの内面で崩壊したなにかを立て直そうという無意識の反応だったのかもしれない。ぼくたちの生活がおそろしく脆弱な基盤のうえに成り立っている、という事実を眼前に突き付けられたことに対する、それは放っておくと崩れ落ちそうになる「精神」の必死の抵抗だったのだろうと思う。

　たぶん現実的に考えるなら、家を建てるという判断はやはり合理的ではない。家を建てるということで、ぼくたちは東京という土地に溢れかえっている現実の様々なリスクからもう逃れようがなくなることを意味する。しかも経済的な破綻がいつわが身に降りかかってくるのか、その可能性は今後もますます高まっていくことだろう。でも、だからこそぼくらは新しい家を建てようと思うのだ。それはぼくらの「希望」の象徴だ。それはぼくらの生活の希望であり、未来の希望である。「希望だって？　そんなものはもはやない」と思い知らされたのが3月11日の経験だ、とおそらく他人はいうのだろう。しかし人は希望を失ったからこそ、なおさら希望するしかないのだ。いや、それは「失われた希望」を希望する、といったほうが正しいのかもしれないけれど。]]>
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   <title>「映画芸術」に寄稿しました</title>
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   <published>2012-01-27T07:56:09Z</published>
   <updated>2012-01-27T15:11:24Z</updated>
   
   <summary>1月30日発売の「映画芸術」438号に安井豊作著「シネ砦炎上す」（以文社）の書評...</summary>
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      1月30日発売の「映画芸術」438号に安井豊作著「シネ砦炎上す」（以文社）の書評を寄稿しました。
ちなみにこの号は恒例の「ベストテンワーストテン」が掲載される号で期待されている方も多いと思いますが、目次を見ると（ボクの原稿はともかく）いつにもまして気合いの入った内容みたいでボクも楽しみにしています。
      
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   <title>山本理顕・他「地域社会圏主義」（INAX出版）</title>
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   <published>2012-01-20T03:22:19Z</published>
   <updated>2012-01-20T16:29:57Z</updated>
   
   <summary>やっと仕事が一息ついたけど、正月からこっち、憂鬱な日々が続いています。 しばらく...</summary>
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      やっと仕事が一息ついたけど、正月からこっち、憂鬱な日々が続いています。
しばらく引き籠りです。
      建築家による新しい中間団体論というべきなのだろうか。戦後の持ち家政策と今日の新自由主義経済に対抗する新たな地域コミュニティの創出の試みであり、そのこと自体は非常に興味深いものだ。しかしこの種の新しい「ユートピア」が――具体的な数値とイメージで語られれば語られるほど――説得力を欠くように感じられるのはなぜなのだろうか、と考えてみる。

おそらく建築家は、モダニズムの都市計画のようなある水準までは普遍的で遍在的に適応可能な抽象性の高いプランではなく、横浜のある地域という設定に根ざした限定的なプランニングとして提出している。だから社会変革ではなく、現状の社会状況をある程度前提としたということだ。それはあくまで暫定的で一時的な共同体としてあるはずである。
もちろんそれが「革命」的でないから、という理由で批判するつもりはない。そうではなくて、だとしたらそのコミュニティ（地域社会圏）と「外部」との関係性をもっと本質的に問い詰めてみなければ、一見現実的でありそうな提起だが、結局は建築家の夢想で終わってしまうだろう。

この本には、コミュニティ＝「地域社会圏」でどのような暮らしが可能かが事細かに記されている。しかし端的にいって、ここに住む人々がどんな人々（階層）で、当初どのように参加し、どのような条件で離脱するのか、あるいはコミュニティを誰がどのように立ち上げ、どのように終わらせるのか、そうしたいっさいに触れられていない。もしかしたらそれについて思考することはすでに「建築」という領域を超えているのかもしれない。それはたんに社会のグランドデザインというだけでなく、たとえば「ミル・プラトー」で論じられていた「地代」といった問題にまで及ぶものかもしれない。いずれにせよ普遍的で永続的なプランではなく、暫定的で一時的な共同体なのであれば、何よりもまずそれを考えるのが前提となるはずだ。

「地域社会圏」は閉鎖的なカルトではない。むしろ住民のある一定の流動性が前提とされる、ある意味では新自由主義的な生活意識にも親和的なコミュニティである。住民は幼児から老人まで圏内で事業を行う小さな起業家であり、そこに労働者は存在しない。いるのは「サポーター」という名のサーバントである。おそらく住民は決して裕福ではなく、しかし完全な失業状態にもいたっていない。つまり今日的な（没落解体中の）中産階級のための共同体なのだが、要するにそれは西沢大良の「現代都市のための９か条」でいわれる「スラム」である。実際、風呂やトイレが共同使用なんて集合住宅がスラムでなくてなんだというのか。

もちろんスラムの生活改良という話じたいは悪い話ではない。今後大量に産出される解体しつつある中産階級のために、むしろ自治体などは実践的に取り組むべき課題とすらいえる。だがスラムは結局スラムなのであって、結局はせいぜい過渡的なアジールにすぎないというべきなのである。それをあたかも目指すべき楽園であるかのように糊塗するような言説は、やはり「反動」以外のなにものでもあるまい。
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   <title>謹賀新年</title>
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   <published>2012-01-07T04:08:25Z</published>
   <updated>2012-01-07T04:12:46Z</updated>
   
   <summary>正月からユーロ安やらイラン情勢やらがきな臭い2012ですが、なるべくなら今年で世...</summary>
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      <name>石川義正</name>
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      正月からユーロ安やらイラン情勢やらがきな臭い2012ですが、なるべくなら今年で世界が終わらないでほしい、と本気で祈念するお正月です。
      年末年始は毎年仕事が立て込むのでほとんど休暇らしいことはしなかったのだけど、昨夜は池袋サンシャイン劇場で第三舞台の解散公演「深呼吸する惑星」を見て来た。
もはや歴史の遺物に近いバブリーな演出だった（客層も80年代を知ってる世代の人が多かった）けど、それはそれで面白いものだった。
SF仕立ての設定で、60年前に人類に占領されたある惑星で人々に嘲笑されながらも「独立」を呼びかけるアナクロな反逆者の物語というのは、あからさまに東大安田講堂陥落以降の40年間の日本社会のアナロジーであり、その観点からはミュージカル「レ・ミゼラブル」におけるフランス７月革命＝1968年のアナロジーと同じで、それらがどちらも終演を迎えたというのは、たとえばスティーブ・ジョブズが象徴していたこの４０年間の文化史的な潮流（「第三」＝「想像力」による現実の超克）の終焉のひとつ、ということである。

今年はどうも否応なく大きな政治的変動がありそうで、ユーロ安だわ中東は限りなくきな臭いだわと、それらの大きな津波がボクらの生活レベルにまで達してへたをすると飲み込まれてしまいそな気がするけど、「すべては変わって、変わるの」という短編映画「マリアの本」にあった台詞が不意に記憶の底から蘇ってきて、諦念とかすかな希望を抱きながら何とか人生を凌いでいこうと思うのでした。
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