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2012年03月01日

●住宅哲学3 「スペクタクル」としての住宅/ローン

 今日、Kさんの事務所で(仮称)「のりたまハウス」の基本プランについて初の打ち合わせをした。その前から妙にフワフワと落ち着かない気分だったのだが、あとから考えると「家を建てる」という思いつきがついに現実となってしまう、という事実を前に、どうも気後れしていたにちがいない。人生最大の散財というか消費活動であって、これがつまり「スペクタクル」というやつなのか? というか、要するに素人で気が弱い、というだけなのだけど。
 しかもKさんにプランの方向性を提示してもらうと、これがどうもカッコよくなりそうである。Kさんがついに降臨した建築の神さんから授かった閃きに、独特の光=空間を加えたコンテンポラリーな労作である。何かもっともらしい質問もした気もするが、じつは「こんなカッコよい家に住んでいいのか」と、やはり内心ビビリっぱなしなのだった。井の頭五郎に家具を注文しよ~かな~、などと言いながら帰宅。次回の打ち合わせが楽しみ。

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 以前ちょっと触れたように、今日、人びとが政府の住宅政策によって「家を持ちたい」と思わされている、というのはなかば以上の事実である。仕事に就き、結婚して子供を育てるという(今では)「普通」と考えられている生活を望むとすれば住居という建物で暮らすしかなく、その住居というのは親元で暮らす以外には自分の資力で購入するか賃貸するしかない。しかし戦後日本の場合、持家を望む国民(比較的裕福な階層であり、標準的な世帯が多い)が異様なまでに手厚く保護されるいっぽうで、賃貸という手段を選択する人びと(都市部の中間層以下の比較的貧しい階層、若年層に多い)の生活上の困難は意図的に放置されたままになってきた。平山洋介『都市の条件――住まい、人生、社会持続』はそうした現状を次のように記している。

 「戦後日本の住宅システムは、デュアリズムの枠組みをもち、社会的再分配の役割をほとんど担わなかった。中間層に対する持家取得支援が重視される一方、低所得層のための住宅供給は少量であった。公営住宅の制度は残余化し、公的な家賃補助制度は皆無に近い。この歴史的経緯の延長線上に起こったネオリベラリズムの政策転換によって、住宅保証の施策はいっそう減退した。」

 「デュアリズム」とは、公営住宅のような「社会賃貸セクター」の供給を減らして、企業が扱う賃貸住宅のような「民間賃貸セクター」から分離する方針を意味している。そうした住宅政策は「賃貸セクターを改善せず、持家セクターに資源を集中する。このバイアスは、住宅所有に対する欲求を間断なく刺激し、多数の世帯を持家取得に誘導する」。

 つまり戦後の日本で「まとも」な社会生活を営もうとすれば、家を買うしかない、と人びとに思わせるように国家が誘導してきたのである。たとえば戦前の日本には持家を生活に優位とする志向はほとんどなかったし、実際に国民が持家を保有する比率は――特に都市部では――低かった。国民の持家志向は決して生活上の自然な欲求に基づくものではない、むしろ政策的に仕組まれた欲望である。それは1990年代のバブル崩壊とその後のネオリベ的な住宅政策のもとでもほとんど変化がなかった。「デフレ経済下の負債はハイリスクである。にもかかわらず、住宅ローンを用い、持家を購入する以外に、住宅を改善する手段がほとんど見当たらない」のだ。人びとの「家を持ちたい」という欲望は、大部分そのような政策決定によって方向づけられたものだ。逆に言えば、「家を持ちたい」という欲望によって、人びとの生のあり方が規定されるのである。それはフーコーが「生政治」と呼ぶ当のものの典型的な例ではないだろうか。

 しかし「家がほしい」という欲望は、ほんとうにそうした政策決定だけで形成されてきたのだろうか。どうもそうではない気がする。たとえその欲望の方向性が誘導され歪められたものであったとしても、安定した「暮らし」に対する欲望じたいは人びとの中に「ごく自然に」発生するものであるように思われるのだ。あるいは欲望そのものがすでに「偽造」されているのだろうか。戦後の小説で「家を建てる」物語といえば、まず想起されるのが小島信夫の『抱擁家族』(今日なお影響力の衰えない江藤淳の評論『成熟と喪失』で大きく扱われた作品でもある)にこんな一節がある。

 「俊介はいつのまにか、楽園が家の中に出現すると思うようになっていた。」

 これは主人公(俊介)が新しく家を建てるにあたって、敷地にプールをつくろうと夢見た部分だ(なお、小島信夫の家の設計をしたのは先日亡くなった広瀬鎌二)。ここで「家を建てる」のは一言で1950年代の「戦後復興」の隠喩といっても間違いではない。「楽園」とは高度経済成長期の核家族的な世帯の希望と期待に関わっている(もちろん『抱擁家族』は主人公の妻がアメリカ兵と密通し、建てられた家は雨漏りだらけ、という経済成長の内実を暴露する小説なのだが)。つまり「楽園」とは追い求められるべき「イメージ」と化した経済成長それじたいである。

 「夫婦がプールで泳いでたわむれている。それから芝生の上で抱擁しながら倒れる。そばらく横になっている。彼女の贅肉の一つ一つを自分の贅肉の一つ一つにじかに感じているのだが、空想の中では、俊介も妻も贅肉をおとしてずっと若々しい。まるで勇気をたしかめているみたいだ。それから寝室、自分は彼女を子供のように抱いていたい。自分の身体のように彼女も重いのだが。二十代の時の何倍も自分はバラ色にあこがれている。」

 そうした「イメージ」の逆らいがたい魅惑(実際、俊介の妻はセイレーンのようではないか?)を、ギー・ドゥボールにならって「スペクタクル」と呼ぶことが可能かもしれない。「スペクタクルが根ざしているのは豊かになった経済の地盤であり、まさにそこから(中略)最終的にスペクタクルの市場を支配することになる果実が生まれる」(『スペクタクルの社会』木下誠訳)。

 「スペクタクル」は「商品のフェティシズム」(マルクス)に基づいている。それは「生きられたもの(経験)すべてを支配する商品の世界」であると同時に、「あらゆる商品の一般的等価物」(貨幣)でさえある。「そこでは、社会全体のありうる姿、また、社会全体がなしうることと一般的に等価なものとして、商品世界の全体が一括したかたちで姿を現す」。

 スペクタクルによって生のすべての局面が商品化される。標準世帯の家族の多くは住宅を建てるために人生のなかば以上を使い果たす。住宅(もしくはそれを可能にする銀行融資)はそこに生きる人びとの生の全面的な商品化をもたらすのだ。つまり住宅とは「社会全体のありうる姿」そのものである。「今日では、その支配を逃れるものは何もない。スペクタクルは現実全体と混ざり合い、その現実のなかに行き渡ってしまっている」(『スペクタクルの社会についての注解』木下誠訳)。そこではもちろん何よりもまず人びとの「欲望」こそが「商品理性の意志」と化したということなのだ。

 ちなみにドゥボールは「スペクタクル」を「集中的」「拡散的」の二種類に分類している。前者は全体主義的な官僚制(ファシズムやスターリニズムのような)によるスペクタクルを指し、後者は豊かな資本主義(戦後アメリカのような)が実現したスペクタクルである。そして冷戦終結後の「グローバリゼーション」のような世界システムを指して「統合されたスペクタクル」と表現するのだが、じつは戦後日本において「住宅ローン」という手法を大規模に発動して経済復興を先導した最大の商品である「住宅」こそ「統合されたスペクタクル」と呼ぶのにふさわしいのではないだろうか。

(ここで詳論は避けるが、戦後アメリカの繁栄がルーズヴェルト政権以降のケインズ主義的な経済政策に基づいていたとすれば、それはスターリニズムやファシズムと同じく第一次大戦期に成立した「総動員体制」に分類することも可能である――じじつハイエクのような経済学者はそう見なしていた。つまり経済システムを冷戦時のイデオロギー的二元構造に基づいて論じる意味はすでにあまりないように思われる。むしろ当時から「自由主義世界の社会主義国」と揶揄された戦後日本は、ドゥボールが脱冷戦体制として論じた「統合されたスペクタクル」を体現していたと考えるべきだろう)