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2012年02月17日

●住宅哲学1 家を建てるということ

最近、暇にまかせてRem Koolhaasの新刊Project Japanをぱらぱらと読んでるんだけど、これはメタボリズムについてのインタビュー集でありながら、日本について基本的な知識のない読者のために簡潔に近代史を説明してくれて、ボクのような者にもなかなか勉強になる。
で、その内容と直接関係があるというわけではないんだけど、これから時々この退屈ブログで「住宅哲学」と題して(「衣裳哲学」のもじり)、住宅や建築にかんするあれこれを徒然なるままに書き散らかしていきたいと思う。
なぜそんなことを書くのかというお話は、まあ、おいおい触れていくことにして。

■家を建てるということ

 人はなぜ家を建てようなどと考えるのだろうか。しかもこの東京という場所で。あの3月11日の大震災のあとになって。

 ただ自分の家がほしかったからだ、ととりあえずその問いに対してそう答えてみることにしよう。だがその断言はすぐにあやふやな疑問に取り巻かれてしまう。生活するためなら何もわざわざ家を買わなくても、賃貸すれば十分じゃないか。そもそも家を買うどころか、住む部屋さえ持てない人がたくさんいるというのに、今時そんな欲望をあからさまに公言するのは傲慢ではないのか。

 たしかにそうなのかもしれない。じゃあもう少し一般論めかしてこんな答えかたをしてみよう。家を建てようなどと考える人は、その人が暮らす社会によって無意識のうちに欲望を誘導され強制されている、というものだ。つまり僕らは家を買うのではなく、買わされるのである。具体的には戦後の高度経済成長期に政府が制度をつくり、現在もなお経済政策の柱の一つである「持ち家政策」によって、ということである(*後述の「スペクタクルとしての住宅/ローン」参照)。

 持ち家を買い、そのための多額の費用を住宅ローンとして金融機関から借金し、その返済のために30年を超える期間で返済し続けるという仕組みが完成したのは1960年代に遡る。成人男性の多くが企業に勤めるサラリーマンとして雇用され、かれらが妻と1~2人の子供を養う家庭をつくる、というライフスタイル(標準世帯)が一般化した。日本の社会は「冷戦」体制のもとでそれなりの平和と安定を維持し、そのシステムが未来永劫維持されていくという幻想を抱くことができた時代だった。

 しかし冷静体制の崩壊後、1990年代に急速に拡大した「グローバリゼーション」のもとで人びとの生活環境は一変した。いわゆる「中流階級幻想」は崩壊し、「格差社会」と呼ばれる不安定で流動性の高い状況に国民は投げ込まれた。端的にいえば、将来まで安定した人生設計をある程度見通せる階層が急速に減少したのである。しかも2008年の「リーマン・ショック」以降の世界的な恐慌で経済的に破綻する人びとはさらに増加した。

 それだけではない。2011年3月11日以降、持ち家のリスクは高まっている。資産としての持ち家は、地震や津波で破壊されればただの不良債権である。人びとは住処を失い、しかもそれだけでなく手元には莫大な借金だけ残されることになる。今後、日本列島では壊滅的な巨大地震が増加するという研究報告もある。いつ、どこにカタストロフィが訪れるのかだれにもわからない。もしそうだとすれば、たぶん持ち家より賃貸住宅で暮らした方が経済的にもライフスタイルとしてもずっと合理的な選択なのかもしれない。

 しかも地震による被害というだけでなく、福島第一原子力発電所の爆発によって放射能というリスクが顕在化した。福島およびその周辺地域に堆積した放射性物質がそこに住む住民に対して今後どのような致命的な影響を及ぼすのか、まだ誰にもわからない。雨風をしのぐ場所、という最低限の機能をこれまで「家」は果たしてきたのだが、しかし目に見えない放射性物質に対して住宅建築はまったく無力なままだ。もちろんそんなものを想定する必要がないと考えられてきたからだが、しかし同様かそれ以上の原子力災害を引き起こす可能性はほぼ日本中に存在している。だとしたら日本で暮らす人びとには今後、同じ土地で、社会的にも経済的も安定した生涯をすごそうなどという錯覚はもう許されないのだ。

                *

 だとしたら、ぼくらはいったいなぜ自分の家を建てようなどと考えたのだろうか。しかもこの東京で。3月11日の大震災のあとになって。

 むしろこの震災がぼくらにとって家を建てようと決意するきっかけとなったのはたしかだ。ぼくと妻はたまたま震災の1年前の3月に晩い結婚をしたが、正直なところ結婚などが自分の身に降りかかってくるなどとはお互いに想像もしていなかった。ぼくも妻も40歳を過ぎていて、どちらも裕福というのにはほど遠いが、それまでに老後に備えて都心にそれなりの生活を続けられそうなマンションの一室を購入していた。80歳過ぎの老母と自分の居室、および自分の仕事をする事務所代わりの部屋のある3LDKというのがぼくの家で、ひとり暮らしだった妻は1DKのマンションである。結婚後、ぼくは妻のマンションの(二人で過ごすには)狭すぎる部屋に居を移し、3LDKに母親と事務所を残した。そして都内の西の自宅から東の自宅へと1時間かけて通勤することになったわけだが、そうした生活を続けるよりはぼくの母親と夫婦の3人でどこかで生活するほうがずっと経済的だろう、と話し合ってはいたのだ。

 ただしぼくたち夫婦は「標準世帯」として想定される家庭生活とは異なるスタイルで生活している。ぼくは企業や学校の印刷物を制作するささやかな事業を営んでいるし、妻は舞台の演出家で教師でもある。つまり二人とも自宅で生活するだけでなく、時間帯を問わず家で仕事をしている時間が圧倒的に長いのだ。その上、毎日夜の9時には床に就き、早朝に起床する老人もいる。そう考えるといわゆる「ファミリー・タイプ」のマンションでは生活にかなりの不自由を強いられることになるだろう。そうした家のほとんどは、今でもサラリーマンと主婦と子供という世帯を基準とした設計がなされていて、ぼくたちのような家庭は想定していない。だとしたら、自分たちで家を建てるしかないじゃないか、というのがぼくと妻の結論だった。

 じゃあ費用はどうしようか。それはふたりのマンションを売却して捻出すればいいんじゃないか。そうすれば多額の住宅ローンを抱えずにすむだろうし、なんだったら賃貸に出してその収入をローンに回してもいいかもしれない。それなら今の収入でもなんとか無理なく家を建てることができるだろう、というのが二人の目論見だったのだ。

 最大の難題。この社会の不安定さといつやってくるかわからないカタストロフィについて。3月11日からおよそ一月のあいだ、ぼくらは用事以外でほとんど外出せず、部屋でひたすらパソコンをいじっているか(情報を検索するよりも、ネットゲームに毎日ひたすら8時間以上もはまり込んでいた)、テレビをただ呆然と眺めているかのどちらかだった。本はほとんど読まなかった。

 どちらの口からともなく「家を建てよう」という考えが浮かんだのは、震災から3カ月ほど経ってからだった。今思うと家を建てるという考え自体が、たぶん自分たちの内面で崩壊したなにかを立て直そうという無意識の反応だったのかもしれない。ぼくたちの生活がおそろしく脆弱な基盤のうえに成り立っている、という事実を眼前に突き付けられたことに対する、それは放っておくと崩れ落ちそうになる「精神」の必死の抵抗だったのだろうと思う。

 たぶん現実的に考えるなら、家を建てるという判断はやはり合理的ではない。家を建てるということで、ぼくたちは東京という土地に溢れかえっている現実の様々なリスクからもう逃れようがなくなることを意味する。しかも経済的な破綻がいつわが身に降りかかってくるのか、その可能性は今後もますます高まっていくことだろう。でも、だからこそぼくらは新しい家を建てようと思うのだ。それはぼくらの「希望」の象徴だ。それはぼくらの生活の希望であり、未来の希望である。「希望だって? そんなものはもはやない」と思い知らされたのが3月11日の経験だ、とおそらく他人はいうのだろう。しかし人は希望を失ったからこそ、なおさら希望するしかないのだ。いや、それは「失われた希望」を希望する、といったほうが正しいのかもしれないけれど。