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2012年02月26日

●住宅哲学2 街路のような、動物園のような家

 「標準世帯」のようではない家、というのはどのようなものなのだろうか。たぶん、それはいわゆるnLDKモデルに適合するものではないはずだ。前にも書いたように、LDKというのは「核家族」を基準にした、L(リビング)・D(ダイニング)を中心に夫婦の寝室および子供(1~2名)の個室nが置かれるスタイルだ。LDKは家族が共有する場であると同時に接客スペースでもある。LDKモデルは仕事の時空間を外部に放り出すことで成立する。それはたとえば亭主がサラリーマンで昼間は会社に通勤する、というような不在の時間帯に家族の行動が同期している、ということである。簡単に言えば、オッサンが平日の昼間から家の中でブラブラしているようでは困るのだ。しかし僕らが必要としているのは、夫婦の部屋と母親(朝の早い老人)の部屋、そして夫婦それぞれの仕事部屋ということで、LDは必ずしも求めていない。しかも僕らは昼夜を問わず家で働いている場合も多いし、妻はピアノを弾いたりオーディオで大きな音を聞くことが仕事の一部であったりするのだ。昼間から家族三人それぞれが非同期的に家の中をウロウロしているのである。

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2012年02月24日

●のりたま日録1

最近のTVのお気に入りは「孤独のグルメ」。松重豊が一人商売の苦さと不安をうっすらと漂わせた「軽い重さ」とでもいったものを漂わせて、とてもいい。実際、昼ごろに妙に時間が空いてしまったときの行き場のなさを食欲で満たそうというのは、ボクにも覚えがあるのだ。

Project Japanをざっと読んだ。ポイントはやはり菊竹清訓の「自分の建築は旧地主階級からのプロテストだ」という驚くべき発言だろう。
それが事実なのかどうか(菊竹の今日の視点からの合理化なのか)は別にして、要するにメタボリズム(1960年)が建築界の小さな「保守合同」のようなものであった、ということだ。
菊竹のいう右派的旧勢力からアメリカ帰りの民主主義的エリート(槇文彦)、さらにアイロニカルな同伴者(磯崎新)まで巻き込んだ、この種の政治的「野合」を可能にしたのがメタボリズム=「成長」神話である。
今日、メタボリズムの復権を唱える人々の意図がどのへんにあるのか、そのあたりから想像してみるべきだろう。
(もっとも、「野合」というのは実際にはちょっといいすぎで、要するに彼らがまだ学生に毛の生えた程度のキャリアしかない若者で、将来の方向性など海のものとも山のものとも知らなかった、というのが実態なのだろうけど)

さて、明日は建築家Kさんのオープンハウスに伺う予定。画家の個展に行ったことはあるが、建築家の内覧会というのは初めて。わくわく。晴れるといいな。

2012年02月17日

●住宅哲学1 家を建てるということ

最近、暇にまかせてRem Koolhaasの新刊Project Japanをぱらぱらと読んでるんだけど、これはメタボリズムについてのインタビュー集でありながら、日本について基本的な知識のない読者のために簡潔に近代史を説明してくれて、ボクのような者にもなかなか勉強になる。
で、その内容と直接関係があるというわけではないんだけど、これから時々この退屈ブログで「住宅哲学」と題して(「衣裳哲学」のもじり)、住宅や建築にかんするあれこれを徒然なるままに書き散らかしていきたいと思う。
なぜそんなことを書くのかというお話は、まあ、おいおい触れていくことにして。

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