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2011年12月05日

●ジジェクによる『こうもり』/『こうもり』によるジジェク

あまりに忙しくてここを更新する暇もありません。
特にネタもないので、昨年夏に「ユリシーズ」という雑誌に掲載したコラムを転載します。
去年までは、リーマンショックから一息ついてまだしも「幕間」という気配を漂わせていた世界情勢ですが、EUがとうとう地獄の釜を開いてしまいそうな来年は果たしてどうなるのでしょうか。
ちょっと気が早いですが、この先どうなるかわからないので、ひとまずよいお年を、と皆様に申し上げておきます。

 六月にヨッヘン・コヴァルスキーがウィーン・シェーンブルン宮廷劇場と銘打ったオパーとともに来日した。八〇年代なかばにカウンターテノールの世界的なブーム(日本では『もののけ姫』の米良美一で知られる)の火付け役となり、その白眉として第一線で唱い続けたコヴァルスキーもすでに五〇代もなかばをすぎて、日本でかれを聴けるのはもうそうそうないかも? という知人の誘いにのせられて観にいった渋谷オーチャードホールでの演目はヨハン・シュトラウス二世(一八二五―一八九九)のオペレッタ『こうもり』、もちろん当たり役のオルロフスキー公爵である。
 一九世紀フランスのヴォードヴィルを原作とするこの傑作オペレッタは今日でもしばしば舞台にかけられるのでご存じのかたも多いかもしれないが、「こうもり博士」と綽名され侮辱をうけた男の復讐という趣向で舞踏会が催される、その第二幕が最大の見所である。女中が若手女優に、金持ちの奥方がハンガリーの貴婦人に、刑務所長がフランスの騎士に変装するこの夜会の主宰者こそ、ロシア生まれの裕福で退屈しきった若い貴族のオルロフスキーなのである。
オルロフスキーは通常メッゾ・ソプラノの男装した女性歌手かテノールの配役になるが、コヴァルスキーのカウンターテノールはそこに或るなまなましい頽廃の強度を加えたといっていい。所詮は「すべてシャンパンの泡のせい」という上流階級のコップの中の嵐にすぎないこのカーニヴァル的なドタバタ喜劇が、ヴェルサーチを愛用するコヴァルスキーの流麗で高貴な声と容姿とが暗示する性の亀裂と倒錯によって、一挙に現代的なドラマとして甦ったのだった。「もしここで退屈している人がいたら、私は遠慮なく放り出す」「私が飲んだら客も飲む、遠慮は許さない」とうたうオルロフスキーのクープレ「私は客を呼ぶのが好き」は、まるでスラヴォイ・ジジェクのいう「享楽せよ」と命じる超自我の命令のように響いてくる。ジジェクによれば、自我の裏面である超自我はわれわれに享楽を禁止するのではなく、逆にそれを義務として強制する。その超自我の命法にジジェクは現代の資本主義の非抑圧的で快楽主義的な機能を見据えているのだが、旧ユーゴスラビア(スロヴェニア)出身のジジェクがラカンの精神分析理論を駆使したヒッチコック映画の評論で名を馳せたのとほぼ同時期にカウンターテノールとして名声を博した同じ東欧(旧東ドイツ)出身のコヴァルスキーこそ、まさにジジェクの現代文化批判の核心を体現した存在だったのではなかっただろうか。
 今年邦訳が出版された『大義を忘れるな』(青土社。原著は二〇〇八年刊)で、ジジェクはスターリン時代のソ連の再評価という際どいテーマを取り上げている。ジジェクによれば、スターリン主義とはブレジネフ以降の硬直した官僚社会ではさらさらなく、むしろ今日の権力者が明日には粛正されかねない一種のカーニヴァル化した社会だった。だからその革命的恐怖政治はレーニンからの離反でも裏切りでもなんでもなく、むしろその延長にあったと主張するのである。
 スターリンを「伝統的な〈主人〉ではなく「〈無秩序の王〉」、つまり、カーニバル的な転覆を取り仕切る者」として評価するのはいかにもジジェクらしい、血塗れのアイロニーが効いたトリッキーな言説だとは思われるが、いっぽうでそれはチェスタトンを愛好する「保守主義者」ジジェクの面目躍如といってもいいのかもしれない。ジジェクはここでヨハン・シュトラウスのオペレッタのいかにも軽薄なあらすじを素直に復誦しているにすぎないのではないか? 別の著書(『パララックス・ヴュー』作品社、二〇〇九年)でジジェクはこれを「スターリン主義的ミュージカル」と呼んでいるのだが、要するにそのミュージカルはロシアからパリに及ぶヨーロッパ文明のごった煮(精髄)としての一九世紀ウィーン・オペレッタのリメイクである。ここではジジェクによって『こうもり』を読むのではなく、むしろ『こうもり』によってジジェクを読むべきなのだ。ただしアウシュヴィッツ以降、さまざまに面白げなキャラクターたちの共演する悲劇あるいは笑劇として歴史を表象することは「野蛮」とまではいわないものの、それなりに手痛い対価を支払わなくてはならない。
 では、『こうもり』に従ってジジェク描くところの現代のコミュニズムの見取り図を解読するとどうなるのか。ジジェクの批判はおもに今日的な一種のアナーキズム運動に向けられている。具体的には一九九〇年代の反グローバリズム闘争とそれ以降の左派の置かれた状況についてである。「私は客を呼ぶのが好き」のリフレインは 'S ist mal bei mir so Sitte, Chacun à son goût!(誰もが好きなように楽しむ、それが私の決まりだ)というのだが、ドイツ語の前半(Sitte:custom)とフランス語の後半(goût:taste)との分裂にそれはアナロジーできるのだ。つまりジジェクの評価する、資本制が強いる「包摂」と「排除」に対抗するコミュニズム、「敵対性に立ち向かう運動」としてのコミュニズムがSitteを強調するとしたら、ジジェクの批判するネグリやハート(「マルチチュード」による「生の生産」の称揚)はgoûtを強調するのだ。第二幕でのSitteがカーニヴァルの王の命令を意味するのに対して、第三幕でオルロフスキーは女中が女優を夢見ること(goût)を手助けしようと申し出、それがわたしのSitteなのだからと語る。ここでのSitteとはまさしくマルチチュードの潜勢力を解放する「一般知性」を意味している。しかもそれぞれのgoûtが称揚される第三幕の舞台となるのは、皮肉にも刑務所の中なのである。
 ここで『こうもり』が執筆された一八七三年末という時期に注目すべきだろう。一八二一年生まれのフローベールなどとほぼ同世代の子シュトラウスもまた、一八四八年の三月革命では革命派の隊列に参加している。その後のフランツ・ヨーゼフ一世のもとでの市街再開発(城壁の撤去とリング通りの整備)によってウィーンの景気は復興しつつあり、一八七三年には社会の近代化の象徴として万国博覧会が開催された。だがいっぽうでハプスブルク帝国は一八六六年にプロイセンに手痛い敗北を喫し、さらに万博開催直後に「暗い金曜日」と呼ばれる株価の大暴落も起きている。二〇〇八年のリーマン・ショックを連想させるバブル経済の崩壊のさなかで、『こうもり』はそんな世間の狂騒に追われるようにたったの四二日間で作曲された弔いの合唱となった(初演は翌一八七四年四月)。このオペレッタはヨハン・シュトラウスなりの「感情教育」だったのかもしれないのだ。
『こうもり』が表象するのは、一八七〇年の普仏戦争(およびパリ・コミューン壊滅)後の帝国主義化しつつあるヨーロッパである。登場人物たちの名前には当時のヨーロッパの国家関係が暗示されているという。たとえば主役のアイゼンシュタインがプロイセン、ファルケ博士がハプスブルクというふうに。「ファルケが仕組んだ復讐劇とは、プロイセンに対するハプスブルク帝国の復讐ではなかったか。ただしこの復讐は、武力ではなく、あくまで歌と笑いとを基本としている」(小宮正安『ヨハン・シュトラウス』中公新書)。こうして『こうもり』化したジジェクのまなざしのもとで、スターリン主義もアナーキズムもともども「歌と笑い」に帰着することになる。ジジェクの批判は、たとえば岡田利規の『三月の5日間』のような現代的な装いをこらした素朴な疎外論の復活に対してはそれなりに有効だといえよう。しかし同時に返す刀で「もう一度、本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!」(『ポストモダンの共産主義』ちくま新書、二〇一〇年)というジジェクの主張じたいが、みずからの言説によって裏切られているともいえる。つまるところジジェクの掲げる「大義」もまた「スラムの惑星」(マイク・デイヴィス)の現実から乖離しているのではないだろうか、まるで酔いに任せて「忘却の喜びを満喫する」ヨハン・シュトラウスのオペレッタのように。

(「別冊クロスビート[ユリシーズ]№4」2010年8月)