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2011年05月27日

●「ユリイカ」に寄稿しました

『ユリイカ2011年6月号』(特集*山下敦弘『マイ・バック・ページ』 の〈青春〉)に論考「幽霊はここにいる 『天然コケッコー』 とある幻想の帰結」を寄稿しました。

先日、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を帝国劇場で観てきた。別所哲也、鹿賀丈史、岩崎宏美、石川禅らが出演する、「1985年ロンドンオリジナル版」による最終公演である。
周知のように、このミュージカルは日本でもよく知られたジャン・バルジャンのエピソード(「巌窟王」(間違えた!)→「ああ無情」という明治期の邦題がある)ではなく、その義理の息子となるマリウスと1930年の7月革命の時期が中心となっている。
ドラマがもっとも盛り上がるバリケード(このミュージカルの白眉といえる装置)に立て籠ったマリウスたち学生の革命行動が(労働者が蜂起しなかったために)壊滅するというシーンには、あきらかに1968年パリの5月革命が重ね合わされている(このミュージカルは当初1980年パリで初演された)。
この演出による「レミゼ」は全世界的に今回で終わりになるらしいのだが、もしかするとそこには「革命(=68年)」というモチーフ自体を終幕させようと意図が含まれているのではないか。

おそらく「マイ・バック・ページ」に描かれた革命にも、そうした意図は底流として共通しているように思われるのだ。しかしマルクス(そしてデリダ)のいう「亡霊」はーどんなに追い払おうとしてもーつねに徘徊しているのである。