« 建築家の思想? | メイン | 「ユリイカ」に寄稿しました »

2011年05月25日

●原子力文化

1990年代(まだオウムや神戸の地震が起きる前だったが)2年間ほど「原子力文化」という広報誌の制作に関わっていたことがある。
(ちなみに原子力業界では「広報」をPR=Public RelationsではなくPA=Public Acceptanceというのである。つまり消費者の嗜好に訴えるのではなく公衆の「受入」が前提なのだ)

というわけでボクには原子力推進に(広告代理店の社員として)いささかなりとも加担した経験がある(ひでえキャリアだなぁ)。その後、そこの担当者と個人的な理由で決裂して会社を辞めざるをえなくなったのだが、それはまあ関係ない。
六ヶ所村やもんじゅも取材したし、いろいろ面白い話も聞いたけど、しかし東京電力をはじめとする電気事業関係者の傲慢で秘密主義な姿勢というのは、何も今回に始まったことではない。連中は今回の事故でもいつもの原発災害のマニュアルどおり動いているだけなのだ。
しかもその電力業界内部でも原子力関係者というのは特殊で、彼らはほとんど企業内企業として独立を認められているようにさえ感じられた。原子力関係者というのは要するに「国際マフィア」のようなもので、本質的には電力業界や政府からも独立した秘密勢力なのではあるまいか。ただその影響力を拡大するために各国のナショナルな勢力と手を結んでいるにすぎない。

そうした原子力の国内向けの仮面がこの「原子力文化」という名称(発行元である科技庁の外郭団体の名前でもある)なのだが、これにはさすがに当時も違和感を覚えていた。
「原子力文明」という言葉はあるが、原子力と文化を短絡するそんな概念はもちろん存在しない。「文化住宅」とか「文化包丁」とかと同じく、「文化」が輝かしい市民生活を象徴する言葉であった昭和期の半ばだからこそありえた造語である。ちなみに日本原子力文化振興財団は1969年に設立されたというから、日本初の原子力発電所である東海原子力発電所が完成した1966年と同じく、それは日本の原子力発電の黎明期にあたる。ついでにいうと「鉄腕アトム」が最初にアニメ化されたのもこの時期(1966年)である(手塚治虫のマンガ原作は1951年)。

つまり「原子力文化」には原子力を「市民社会」に「受け入れ」させるという意図が込められているのだ。原子力の「市民化」されたイメージとは、おそらく「アトム」の体内に収められた「10万馬力の原子力モーター」である。日本人の原子力における「「縮み」志向」は当然「一家に一台原子力」とでもいった社会を志向するだろうからだ。
その意味で東京の電力を賄うのにフクシマに発電所を設けざるをえなかった原子力技術というのは、社会に受け入れられるにはあまりにも巨大すぎるなものだし、最近報道された放射能廃棄物をモンゴルに捨てようなどという発想は、その完全な破綻を意味している。地球規模での核燃料サイクル構築というのは「縮み」とは正反対の、ほとんど「AKIRA」の鉄男くんのような肥大化そのものであろう。

だから、たとえば「戦後民主主義者」大塚英志が「東京に原発を」と主張する(「atプラス」08)のは(たとえ嫌味としてでも)縮み志向あるいは「和様化」された民主主義路線として筋が通っているのかもしれないのだが、しかしそんなことはやはり不可能だろう。というか、それが不可能であることを最終的に確認させられたのがフクシマの出来事だからだ。

もうひとつ、松永安左エ門という人物の存在も見逃せない。戦前戦後にかけて電力業界の大立者であった松永は「電力の鬼」と呼ばれたいっぽうで一流の「文化人」でもあったが、もちろん原子力発電導入についても正力松太郎とともに大きな影響力をふるっている。
松永のことを思い出したのは、八束はじめの近著「メタボリズム・ネクサス」で彼のことが触れられていたためで、本書によればメタボリズムの淵源の一つに松永の作った「産業計画会議」が挙げられている。ある意味ではメタボリズムと原子力と新幹線は三つ子の兄弟のようなものだということにもなろうが、3.11前後に校了したと思しい本書ではもちろん原子力発電とメタボリズムの関連については触れられていない。