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2010年12月27日

●「ゴダール・ソシアリスム」

2010年はわれながら例年になく忙しい年で、しかも生活習慣が一変してしまったせいで、このサイトの手入れも含めいろんなことが疎かになってしまった。特に8月以降、仕事に直接関係のない読書ができたのはたったの2冊という惨憺たるありさまだ(ラウリーとベルンハルトだ)。
来年はもうちょっと余裕のある生活をしたいと思うけど、なんだか今年以上に非常事態な感じなのだ。大晦日も元日も仕事て・・・。
ではまあ、とりあえず良いお年を。

(以下、ゴダール映画にネタバレもくそもないか。まだ初見なので、とりあえず感想というか単なる覚書として)

「アワーミュージック」でわれわれを何よりも驚かせたのは、空港のシーンを撮影したあの俯瞰のカメラ、これまでのゴダールであればありえなかったであろう説明的な描写の存在だった。しかしそれは今考えれば、ユーゴ紛争、そしてヒロインの自殺的な射殺という悲劇的な出来事を回想的なまなざしで語るという、ある意味で古典的で静謐なあの映画の構造に相応しい、天使的な視点だったのかもしれない。
しかし「ソシアリスム」の第一部の船上のシーンにたびたび現れる俯瞰と仰角は、それとはまったく異なるように感じられる。おそらく「探偵」のそれに似たグランドホテル形式を採用し、探偵映画というジャンルの破片が無造作に構成されているのも同様なのだが、しかし決定的に違うのは海(=金)というテーマである。つまりあの繰り返しあらわれる海面のショットが示すのは「大地の不在」であり、それはカメラのポジションを決定する基準の不在ということでもある。宇宙空間では仰角や俯瞰という分類が意味をなさないように、その映像は正確にはショットという概念を廃棄しているのだ。つまりこれは映画ではない。だからこそ、この音割れしたサウンドと薄汚い色彩には美の基準がもはやどこにも存在しないことをゴダールはあからさまに明示している。

地中海の諸都市を巡る航跡にはどこか「ヨーロッパ」を相対化しようという意識がうかがえると思うし、第二部の「子供」という主題と合わせて、「ソシアリスム」における「辺境」というテーマは70年代の「勝利まで」や「6×2」を反覆しているようにも思えるのだが、しかしそれは今、なぜそうなのか。
ことによると、スターリン批判(あるいはアルジェリア戦争)から1968年を経てオイルショックにいたるひとつのサイクルの終焉と、ソ連崩壊から9.11を経てリーマンショックにたるひとつのサイクルの終焉とがある相似を描きつつ、ヨーロッパという自己認識の解体をふたたび迫っているのかもしれないのだが、それについては「ソシアリスム」を再見してから改めて考えてみたいと思う。