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2009年09月15日

●「クリーン」

「中止の鹿島―川崎戦、残り16分から再開へ」
・・・大雨の影響で中断後に中止となったJ1第25節鹿島―川崎戦(12日、カシマスタジアム)の扱いについて、中断前の状態(鹿島1―3川崎)で、残り約16分間の試合を10月7日にカシマスタジアムで行うことを決めた。[読売新聞:2009/09/15 19:28]

何はともあれ、Jリーグがまともな判断を下してヨカッタ。
にしても、これはおそらく未だかつて見たこともないようなハイ・クオリティで壮絶な16分間になる可能性が高い。
優勝を争う2チームの体力充分のプレーヤーが16分間、全力でゴールに突進する。サイドバックは全速力でサイドを上下し、フィールドプレーヤー全員がオールコートプレスをかけあう。はっきりいってどんなゲーム展開になるのか、川崎にとって2点のリードがどの程度のアドバンテージになるか、まったくわからない。
サッカーファン必見! つうかスカパー放送するのか? さすがにこの16分間のためにカシマには行けないゾ。

あ、あとマラドーナ監督はW杯を盛り上げるために辞任してください。
・・・と思っている人は世界中に10数億人はいるんだろうな。

(以下、ネタばれあまりなし)

夜、山陽新幹線で徳山を通過した経験のある人なら、その工業地帯の壮麗な光の集積、いわゆる「工場萌え」な光景を覚えているんじゃないだろうか。
この映画の冒頭も印象的な夜の工場地帯のシーンで始まるんだけど、映画における「工場萌え」といえば「ディア・ハンター」と「カリフォルニア・ドールズ」、あとだいぶ落ちるけど「ブラック・レイン」あたりをすぐに思い出す。
でも、これらの映画がいずれも工場地帯の内部からのショットがあるのに、「クリーン」のそれは海越しに遠くから眺められたイメージ、あくまで工場の生産活動に関係のない部外者の感傷的なイメージなのである。
構造的に見れば、この映画はヒロインが外部から工場を眺める視点から、音楽スタジオの内部からロスの美しいし自然を眺める立場へと移行する物語ということだ。要するにマギー・チャンがいかに社会の生産関係の内部に踏み込めるか、というその過程が描かれている。
しかし、ヤク中ミュージシャンの妻で自分自身もジャンキーに過ぎなかったマギーが思い立ってミュージシャンになるために、収監中に作曲を担当する女性と知り合ったことが決定的な出逢いとなるのだが、彼女との関係がほとんど描かれていなのが、良くも悪くもこの映画の特徴を示していると思う。
生産過程と生産関係を暗示するのみで直接描かないこと。
これはある意味でゴダール以前の古典的な映画の王道だったのだが、しかしすくなくとも現在ではこうした描写は強く欺瞞性を帯びることになる。
その欺瞞と通俗性は、彼女が生活を立て直す上で、彼女の息子を引き取って養う充分な資力があり、しかもジャンキーに理解があるというご都合主義的な義父(亡くなった夫の父親)の存在が不可欠だ、という点にも現れている。どう考えたって一番立派なのはこのおじいさんである。
現在のおフランスのアカデミックな映画がどのようなものか、という典型例を示しているとしかボクには思えない。