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2009年04月23日

●日本の「世界史」的使命と「理性の狡知」

ある特定の国家(あるいは民族)の興隆と没落が「世界史」を左右する重要な因子となりうる、と仮定してみたらどうだろうか。そうした国家(あるいは民族)を、たとえば紀元前5世紀頃のギリシャや16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、ハプスブルグ朝オーストリアについて考えると、20世紀の日本もそこに加えることができるだろうか。
じっさい、関ヶ原の戦いと同じ年(1600年)にイギリスの東インド会社が成立し、昭和天皇の死去と同じ年(1989年)にベルリンの壁が崩壊したという偶然(?)は、そうした想像を充分に刺激するに足る。端的にいって日本が国民=国家として形成された17世紀から20世紀にいたる400年間(つまりヨーロッパが一時的に--というのはフランク『リオリエント』の示唆だが--アジアに対する政治的・経済的・軍事的なヘゲモニーを握った期間)、日本は欧州列強の圧力に対する「アジアの最後の砦」だったのかもしれないのである。その世界史的意義の頂点となるのが日露戦争(日本海海戦)だったということになるだろう。何しろそれはトルコの人々にまでいまだに語り継がれるほど偉大な勝利だったのだ。しかし1997年の香港返還以降、中国が数世紀ぶりにアジアの盟主としての実力と自信を回復しつつあることで、「アジアの徳俵」たる日本(地理的に見てそんな感じ?)の使命は終焉を迎えた、というのがここでの見取り図である。

今日も09年の経済成長率(予測)は日本がG7中最悪というニュースが流れていたが、盛期を過ぎ、目標を見失った国家や民族の迷走ぶりというのは、端から見ていて何とも痛ましい、というかイタいものだ。ギリシャ諸国はたちまち外国人(アレキサンダー大王の父フィリッポス)に占領されてしまうし、スペインでは19世紀にもなって「異端審問」なる気狂い沙汰が復活してしまう。特にスペインの時代錯誤ぶりは夥しく、つい最近まで西ヨーロッパ(フランスのおとなり)のくせに独裁君主が大手を振るっていたほどだったりする。そうしたカンチガイ国家に暮らす国民にとっては正直たまったものではないだろうが、しかし国際的な視点からみればこの種のカンチガイっぷりが歴史の主流を占めるはずもなく、国民の悲惨さと反比例するようにその国の国際的プレザンスは間違いなく低下していく。日本においてもまた、政府の中枢にいる「A級戦犯」の子孫たちが望んでいるのは、結局日本の「没落」と引き替えにしてでもかつての「世界史的使命」を肯定したい、という欲望=理念ではないのか? 

そういう意味では、日本における最近のショービニズムの高まりは、もしかしたらそう悪いことでもないのかもしれない、という気がしてくる。排外主義が「国益」に叶うことが決してないというのは、先年の「従軍慰安婦問題」でいやというほど確認できたからである(日本人以外の誰も得をしない主張なのだから当たり前だ)。要するに「愛国者」が頑張れば頑張るほど、日本の国際的な影響力は低下するのだ。さらに人種主義的な排他主義は日本の政治や経済の地盤沈下、果ては学術的な人材の払底を確実にまねくことになる。しかし日本の国力低下は、将来的には中国を中心としたアジア圏の安定のためには(覇権国家が両立できるはずもないので)必要にして不可避である。

唯一の不安は、オバマが核軍縮を公言するまさにそのタイミングで日本の前閣僚が「核保有」を主張する、というトンチンカンさが現実になってしまうことだろう。「世界史的使命」を失った国家が経済的=軍事的に強大な実力をなおも保有することは、北朝鮮以上に東アジア地域の不安定要因になりうるからである。もっとも実際には日本に核保有などアメリカが許すはずもないから、こうした心配も杞憂というものである。つまり世界史上において日本が穏やかな「脳死」を迎えるためには、この10年以内により排外的かつ差別的な方向へ憲法を改正し、すみやかに国力を衰弱させるのが妥当ということだ。だから今はNHKやデヴィ夫人や女子中学生(笑)やらをDisってるらしい「愛国者」の皆さんは「国益」を棄てて「世界平和」のために頑張っているということになる。
まあ、例えば今後は不法滞在者の通う小学校や保育園にデモをかけてみたらどうだろうか。ボクはなるべく遠くから眺めているので、連中には「世界平和」のためにぜひ頑張ってほしいものだと思う。

(こういう但し書きは艶消しだが、もちろん以上は日本の植民地主義がアジアに及ぼした害悪については一切見ないで措く、という日本人にとって極めて都合のいい仮説による。為念)