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2009年03月28日

●3月

ひさびさに、というかはじめてまともに岡田ジャパンを(TVで)見る。時ならぬメディアの野球推しに、サッカーファンととしてさすがに危機感は感じるものの、ここで負けたらそれはそれで面白い、という一抹のイヤミな下心もあった。で、結局俊輔のFK一発で勝利という結果。
とはいえ、このサッカーでセットプレー以外で得点力を上げるには、ブラジル人のFWが一人か二人必要でしょうね。優等生のサッカー、といいたいところだが、優等生というのは全科目平均点以上でかつ1~2科目傑出しているものなので、すべてが70~80点というのは凡庸以外の何者でもないのである。どんだけ続けても人気でないだろうナー、これじゃ。

で、じつはボクには4月ではなく今月が残酷きわまる月だったのだ。人生最悪といえるほどに。春めいてきた季節に置いてきぼりをくらたった気分の人は多いと思うけど、ボクの場合誕生日が3月であるだけに最近はいっそうウツウツ。ひさびさに「誰かボクに優しくしてよ!」と呟いてしまったよ。
あまりの精神の悪化で本も読めず、なにしろいろいろ考えたくないことが多すぎるので、ひたすらDVD三昧。クリント・イーストウッドの映画だけで優に30本以上見たのだった(まあ、仕事も兼ねていたのですが)。で、思ったのだが、『真夜中のサバナ』は封切当時はまるで意味がわからなかったのですが、これは傑作だったのですね。不覚でした。何もかも主人公たちの意志とは別の要因で物語がうにゃうにゃと進行していくから、何だか煮え切らない退屈な話だと感じていたのだが、じつはそれらを鈴木博之ダイセンセイおっしゃるところの「地霊(ゲニウス・ロキ)」が操っていた「批判的地域主義」の時代のアンチ・ロマンとでもいうべき作品だと思う(すみません半分冗談です)。ダニエル・シュミットの『今宵限りは』的な倒錯はもちろん、シュミットが「幻想」に逃れている「転倒」を正面から視線と権力の問題として扱っているという意味で、イーストウッドはやはりシュミットとよりはるかに偉大な映画作家だと思う。さすが体を鍛えて長生きして映画を撮り続けているだけのことはある。『許されざる者』以降のイーストウッドのフィルモグラフィー中の「負の中心」といっていい作品だと思います。