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2008年12月17日

●『早稲田文学2』に寄稿しました

「小島信夫の「家」--nLDK・透明性・近代末期」という約100枚の論考。「レイトモダン」を「近代末期」という日本語にしたところがミソです(建築用語ではなく、ピーター・ブラウンの邦訳「古代末期」のマネ)。
無名の筆者によるこんなに長い評論を掲載してくださった編集部に深謝。

内容としては、先日創刊された『悍』(白順社)に発表した「『地の果て 至上の時』 あるいは「路地」の残りの者たち」の姉妹編に当たります(ただし執筆時期は小島論が先なので「姉」にあたるのかな)。
どちらも自分自身ではかなりアクチュアルな論点を呈示したつもりです。特に『地の果て』論ではリーマン破綻を意識していました(あのニュースが飛び込んできた日、世界じゅうの金融屋が「嘘だ」って絶句したでしょ)。
でも、あんまりそうとは読まれないらしい。もしくは、それと文学にどんな関係があるの? と不思議な顔をされてしまいます・・・。

今後はもっと若い作家たちについても書きたいと思っていますが、とりあえず現時点で言えるのは「キャラクターズは小島信夫の破片ではあっても、中上健次の破片ではない」といったところかな。中上健次はドゥルーズと並んで「民衆が存在しない」という言葉を引用する権利のある唯一の日本の作家だったし、今なおそうなのである・・・って、やっぱ孤立してるのか、オレ? でも、まあいいや。