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2008年03月03日

●アーカイヴ4『弾丸ランナー』

サブ監督 1時間22分 テアトル新宿でレイトショー公開中

 『弾丸ランナー』で3人のキレた主人公がひたすら都会の喧噪の中を走り続けるのを見ながら、昔ルイス・プニュエルという人が撮った『ブルジョアジーの密かな愉しみ』という映画で、登場人物たちがひたすら意味もなくフランスの田舎道を歩き続けていたのを思い出した。『ブルジョアジー…』では、フランスのブルジョア階級の男女の友人が食事をしようとするのだが、レストランの主人が急死する、仲間の一人が警察に捕まるといった事件事故が常に起こって永遠に食事にはありつけず、男が警察に抵抗して射殺される、と思ったらそれはその男の夢で、さらにいろいろあっていよいよ食事を始めようとすると、幕がいきなり開いて、そこが舞台上のセットだとわかって、と思ったらそれがまた別の仲間の夢で、さらに目覚めるとそれがまたさらに別の仲間の夢で、…といった調子のタチの悪い冗談が延々2時間も続く、それはそれは人を食ったお話なのだった。
 『弾丸ランナー』で走り続ける3人は、レストランらしき厨房の下働きのおじさん(田口トモロヲ)とコンビニのアルバイター(DIAMOND★YUKAI)とチンピラ(堤真一)だから、こちらは日本の極貧労働者階級のカリカチュアとでも言ったらいいか。アルバイターは勿論ミュージシャン志望のシャブ中だし、チンピラは組長が目の前で殺られても何もできない意気地なしで、下働きは職場仲間にイジメられ、恋人にふられた腹いせを銀行強盗で晴らすつもりがドジってしまう。彼らを取り巻くヤクザと警察がさらに輪をかけて妄想的な連中で、その間抜けな様子が大袈裟な演出で語られる。殺すつもりが殺せない、追いかけても掴まらない、だからこんなヤツらにできるのは走りながら妄想にのめり込むだけと言わんばかりの皮肉な語り口なのだが、それが通りすがりの若い女を犯すという程度では、観客は自分たちの社会の想像力の貧困さに暗澹としない訳にはいかない。
 不愉快なのはラスト30分だった。どうせなら最後まで元気よく走ってりゃいいのに、3人は夜になると足を止める。おまけにけっこう仲良しになっている。叙情的なBGMにのせて慰安的な幻想(自分をふった恋人が優しく振り返ってくれたりする)に没入する3人。この無神経で甘ったれた感傷が倫理的に許せないのは、彼らの流れ弾で死んだ通行人の(妄想ではない)具体的なショットが映画の中にあるからである。事件に無関係な人間の死が許せないなどと道徳家ぶって言うのではない。映像と映像とが関連する意味に鈍感なのが、映画作家として犯罪的だというのだ。しかもその甘ったれた感傷がけっこう日本人になら受けるだろう、という商売人としての計算高さが二重に不愉快なのである。
(「ミュージック・マガジン」1996年12月号)

(現在の後記)
このレビューを読んでプロデューサーが激怒している、と知ったのは、たまたまそのPが某映画会社の演出部にいた友人の上司だったからで、友人はさすがに「このライターなら(18の頃から)よく知っている」とは上司に言えなかったらしいが、しかしその友人も後日このPに面と向かって「馬鹿野郎!」呼ばわりしたのだから結局似た者同士である。ボク自身、こんなレビューを書きながら、それでも「いずれ映画ライターにでもなろうかな」と考えなくもなかったのだから呑気なものだった。現在の映画評論なんて広報の外注みたいなもので、求められるのはヨイショであって批判や批評ではない。
ジョン・カーペンター『エスケープ・フロム・LA』(樋口泰人氏)、エドワード・ヤン『カップルズ』(真保みゆき氏)と並んで掲載。