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2008年02月28日

●お、考えたね^^

とにかくココ相当更新されませんからね…;
お蔵出しでページを稼ぐ(<有体に言えば)のはなかなかよい方法ですね♪
僕の場合残念ながらそういうのに耐えうる素材がないのでちょっと悔しい(笑)

でまあ、西澤さん任せにしてるのもあれなんで、ちょっと駄文。

漫画
「バトルクラブ(最新刊)」「天上天下(最新刊)」
すでに世間でも確立した評価だとおもうけど、どちらもため息が出るほど絵の完成度が高いなあ~。
「漫画を楽しむ」というよりはもはや教科書ですね^^;。ガレキはこうやって描くのか~とか。

「もやしもん6」
この巻も密度が濃くて読みでがあります。ワインは…はまったら破産しそうだなあ…恐い世界だ(笑)。

「キス×シス」
これは1巻と2巻をまとめて読みました。
おおー、さすがぢたま先生…と感嘆しました。
一般誌のお色気系としては先日ジャンプの「とらぶる」を読んだばかりですが、これは全く方向性の違う、「お色気」というより「エロス」ですかねえ。それがうま~く結実してると感じました。すごいな…(これを載せる雑誌=編集もすごいけど)。

「わたしを有明につれてって!」
上連雀先生のエロ漫画です。完全に気が狂ってます。背景がすごい!。グレートな作品。

「さよなら絶望先生12」
毎回思うけど、これ、週刊連載なわけですよね?;で、これだけ毎回ネタ出すのものすごい大変だと思うのだけど…。1週間の内のネームと作画の比率ってどうなってんのかなぁ?
とにかくすごい。現在「よつばと」と並んで最新刊が最も待ち遠しい作品です。


アニメとドラマに関しては特記なし。徐々に挫折してる感じで本数が減ってます;;


●アーカイヴ3『リトアニアへの旅の追憶』

ジョナス・メカス監督 1時間27分 8月30日からシネ・ヴィヴァン六本木で公開

 この映画は、家族や友人の日々の生活を16ミリフィルムに収めた、いわゆる「個人映画」というジャンルに属する。第二次世界大戦中、ナチスによって故郷リトアニアを追われ、ドイツの強制収容所を体験し、アメリカに難民として亡命した一青年(ジョナス・メカス)が、27年ぶりに故郷で母や家族、友人に再会するという筋立ての、歴史の証言としての貴重さ。だが疑問もある。ビデオ・カメラが一般家庭に普及している現在、わざわざ35ミリの商業映画として公開する意義があるのか? メカスが母親と再会を果たすリトアニアの素朴な農村風景はなるほど美しいが、日記的な手法で描かれた〝個人的な体験″など、発表された1972年はともかく、戦争もメカスも当時の映画も社会状況も知らない観客にとっては退屈で、押し付けがましいだけではないのか?
 独りよがりな、というのは実は道徳的な批難なのだが、むしろこの映画に感じるのは、音と映像のあらゆる瞬間が過酷なまでに「政治」に刺しつらぬかれているという印象である。登場する無数の有名無名の人々の貌。リトアニアの自然。木いちごという言葉。メカスの家族や友人たちの立ち居振る舞い。家族の離散と再会。彼の母国語ならざる言語によるナレーション。なるほどどれもささやかな〝家族の肖像〟に過ぎないといえばいえる。だがここに立ち現れる抒情は、主観的な感情過多とは正反対の体験なのだと思う。「政治的」とは何もナチスやソ連の政治体制の教科書然とした解説や立場表明ではない(メカスはそんなことに一言も触れない)。それはぎこちなく、遊戯的で、演技=労働から遠く隔たったユートピア的なヴィジョンである。と同時に樹木の葉一枚一枚の震えに至るまで「歴史」に貫き通されているのをくっきりと浮き立たせるメカスの眼差しが、見る者を思考の運動へと促す。強制収容所に佇み、語りかけるメカスのやさしさ。「弟は外を見て回りながら思い出に耽っていたが、その周りを子供達が取り巻いていた。何てへんてこりんな人達なんだろう。こんなところへやって来て、物思いに耽っている、と子供達は思っていただろう。本当に変な外国人達だって。そうだ、走れ、子供達、走るんだ。私もかつてここから走りだした。しかしそれは命をかけた走りだった。そんな風に子供達が命がけで走ったりすることのないように。そう、そうやって走るんだ、子供達」。
 抒情が「政治」から無垢の領域だと信じている子供達(たとえばそれは岩井俊二の『Love Letter』やや是枝裕和の『幻の光』の観客である私達のことだ)にこの映画はどう映るのだろう。安易で独りよがりな感傷に安住するのではなく、人々を思考へ誘う、みずみずしい抒情のありように身をひらくことは、結局は観客の〝つとめ″であると思うのだが。
(「ミュージック・マガジン」1996年9月号)

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2008年02月27日

●アーカイヴ2『水の中の八月』

石井聰亙監督 1時間57分 9月9日から渋谷・パルコスペースパート3で公開

 テーマはネイチャーである。物語は少女が地球を救うのである。これで映画の内容は、九割がた語ったことになる。舞台は博多だが、あまり気にしなくていい。山笠祭りが見られるが、笠松則通のキャメラは相変わらず美しく、まるで観光パンフレットのようである。街は水不足で、「石化病」という奇病がはやっている。人々は突然道端に倒れ込んだりする。だが設定だけで生活感も肉付けもないから、ほとんど危機的な事態には感じられない。この世紀末の世界を救う少女は葉月泉(小嶺麗奈)という。水泳の高飛び込みでは、日本で屈指の選手である。高校の同級生である少年少女たちは、彼女に好意を持ったり、不安な未来をホロスコープで予測したりする。誰もがもちろんピュアでセンシティヴで、お肌のお手入れも行き届いているから、顔にはにきびの跡一つありはしない。ところで泉の姉の洋(戸田菜穂)も含めて、彼女たちの髪がみんな短いのはどうしてだろうか。登場人物は互いに鏡に映し出したようにそっくりなのだ。
 だが彼らはキャラクターではなくせいぜいナレーターに過ぎないと考えるべきだ。それぞれがやたらに長い台詞を喋る。その口調は会話でなくモノローグ、あるいは宇宙と生命に関する説教である。高飛び込みに失敗した泉は生死の境をさ迷い、奇跡的に回復する。泉は水や森や石の声を聴くようになる。石や樹木に耳を当てても、聞こえるのは自分の心臓の鼓動ばかりのはずだ。彼女は高飛び込みをやめたのだろうが、それに関する言及もない。石井聰亙監督自身が脚本も執筆しているが、物語の自然な展開は放棄されている。モブシーンはあたかも人形の群れが棒立ちしているかのようだ。これを普通、演出力の欠如という。ヴェンダースの『夢の果てまでも』を観た後の深い失望と腹立ちを思い出した。
 泉は最後に人類の危機を救うため、自らを犠牲に供する。すると渇水に喘いでいた街に雨が降り、石化病も癒される。通俗化されたガイア思想や供儀論の有効性を信じるのは当人の勝手だが、地球環境の問題は水こそが病んでいる点に存するのだし、酸性雨が森を枯らしているという常識は最低限踏まえてほしい。水=浄化なる図式を誰が信じるというのか。チープでナイーヴなのは石井聰亙の美質だったと思うが、これは映像うんぬんといった以前の問題だろう。
(「ミュージック・マガジン」1995年9月号)

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2008年02月26日

●アーカイヴ1『ファザーファッカー』

荒戸源治郎監督 1時間30分 6月17日から銀座テアトル西友ほか各劇場で公開

 例えば『大人は判ってくれない』のジャン=ピエール・レオーのような〝不運な子供″の一人に、内田春菊の自伝的小説を原作とする『ファザーファッカー』の静子(中村麻美)を数えてもいいだろう。つまり映画を活気づける彼らのアクションを心理的に保証するのが、強権的か偽善的な親と子の距離や葛藤なのだが、一方でパリという街は、J=P・レオ一にとって両親に、そして映画に庇護された空間でもあった。だからそこから逃亡する彼が最後に見せたあの忘れがたい表情には、自由と不自由とが交錯する存在の痛みといったものが刻みつけられていたのだが、『ファザーファッカー』では、長崎に設定されたその空間は、少女の見る南国的な鮮やかな色彩の幻想によって特徴づけられている。
 物語は刺激的なタイトルに反して、実父の家出から養父(秋山道男)の出現、心の弱い母親(桃井かおり)、ボーイフレンドとの交渉、そして妊娠と堕胎といった日常が淡々と綴られる。養父による性的虐待の場面も、直接の性描写は避けられ、やがて少女は「苛酷な現実と危うい夢のラビリンスを駆け抜けて、未来に向かって脱出する」。鈴木清順ばりの超現実的なセットや、なにやらブニュエルを連想させなくもない台詞(お前のここを、縫いつけてやる)が至るところに散見されるが、それにしても「ハードメルヘン」と銘打たれた、これら一切のほどのよさは、いったい何なのか。
 夢と現実が入り混じった叙情的な幻想は、絵解きをする前に気恥ずかしいほど凡庸で説明的だ。ビザール(異様)であるはずの養父まで、その一挙一動が意図と説明を背負って、秋山道男の持ち味が充分生かされていないように思う。“とんでもないこと″をあっけないほど日常的に語る荒戸監督は、小津安二郎に似た距離と抑制の人なのではなく、むしろ「わかり易さ」というコンセプトで映画を梱包し、現代に相応しい「商品」に徹しようとしている。だが「脱出」を爽やかで美しいというのは、あまりに抽象的な嘘でしかあるまい。最後に坂道を去っていく少女を打っていたのは、かつてJ=P・レオーの頬に貼りついていた、ひりひりするような存在の痛みとしての風であるはずだが、そんなものを現在の邦画に求めるのは、無いものねだりに過ぎないというべきだろうか。子供だましの嘘と映像には、いい加減にうんざりしているのだ。
(「ミュージック・マガジン」1995年7月号)

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2008年02月24日

●とほほ・・・

なんというか、代表の試合で一喜一憂せずにすむようになった(思い入れがないので)のが、ボクにとっての岡田ジャパンの唯一の美点である。
岡田監督への評価は当初と変わらず。監督(マネージャー)という職業に必要な「構想力」が致命的に欠けているので、場当たり的、もしくは選手を使い捨てするような対処療法的な治療しかできていない。「去年のアジアカップより前進」とかノーテンキな評もあるようだが、安田や加持の使い方はほんとうにあれでいいのだろうか。
率直にいって、岡田監督はアテネ五輪代表の山本昌邦監督と同じタイプなのだろうと思う(コーチとしては岡田監督のほうが優秀そうだけど)。
しかしそれでも10年前、加茂監督のコーチから昇格したあの1年間だけはいちおう監督らしく見えたのは、「ワールドカップ初出場」という目標と情熱が「構想力」の代わりを果たしていたのにちがいない。
今はまだ相手も本格的な分析を始めていないからいいけど、「個」の能力に特長のある「新戦力」が通用しなくなった時、彼はどんな手腕を発揮できるのだろう?
まあ、アジア最終予選は苦労するんじゃないだろうか。

しかし、そんなことより、アーセナルはビッグマッチ(ミラン戦)の後の弱小チームとの対戦だから苦労するだろうな、とは思っていたけど、中国代表顔負けのあんなひどいラフプレーでエドゥアルドを失って、挙げ句に終了直前にPK取られるとは・・・。
何もかもがトホホである・・・。

2008年02月12日

●うあ、もう2月も半ばだ;;

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あっという間に時間が過ぎていきます…。

そんなわけで実はずっと申し込みすべきかどうか迷っていたのですが、一応申し込みしてみました<夏コミ
何の本作るかとかはまだ全く白紙です。
先日、ホットミルクの原稿渡した時に編集長から「これを読め!」と言われたので「とらぶる」を全巻買ってきて読みました。なるほど~…最近の少年誌のお色気路線というのはこんな感じなのかー…。僕の場合現状萌え的なものからかなり遠ざかっちゃってるんで、ちったあ勉強しろということなのでございます;。乳首にトーンが張られてしっかり描かれてたのが一番びっくりしたことなんですが、これって雑誌掲載時には…やってないのかな…?(今週号のジャンプ立ち読みした限りでは貼られてなさそう…)
…というわけで、今月末発売のホットミルクにて萌えからは程遠い(苦笑;)人妻漫画が載りますのでどーぞ宜しくお願いします…。

>最近見てるテレビ

アニメでは「ヤッターマン」「00」「墓場鬼太郎」「ドラゴノーツ」「ブルードラゴン」「おかわり」「けろろ」
て感じですが、まあ「ヤッターマン」かなぁ…やっぱりドロンジョさま最高です。

ドラマは「斉藤さん」「鹿男」「きたよしお」「佐々木夫妻」「相棒」「めぐる」あたりですが、
「鹿男」はプライムタイムにやるドラマにしては相当とっちらかった印象で…(笑)逆に目が離せません。
「相棒」を別格とすれば、イチオシは「斉藤さん」で。
美味しそうな奥様方がわんさか出てくるので嬉しい限りです(はーと)

今回はそんなとこで。