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2007年11月04日

●SPよりもガリレオよりも

鳩山法務大臣が久留米の秋祭り(!)で語ったところによると、「テロリストの怖いのが平気で日本をうろうろしている」らしい。
なるほど岡田准一クンのような超能力を駆使するスーパーSPが必要な時代なのかもしれないが、よくよく考えてみると、テロリストがうろうろしているにもかかわらず、日本でテロらしいテロが(オウム事件以外に)起きていないのは、つまりは標的にするに値する政治家が存在しないからにちがいない。たしかにテロリストが、このお笑い法務大臣の命と、自分の命を天秤にかけたら、自分の命の方が惜しくなるに決まっている。
そもそも今回の「大連立」のバカ騒ぎからもわかるように、政治家自身が政治的な対立に耐えうる精神と能力に欠けているのだ。つまり日本には「政治」が存在しないということである。つくづく殺し甲斐のない政治家どもというか、要するに彼らは政治家を装った詐欺師に過ぎないのだろう(知恵を付けているのはアメリカのペンタゴンあたりなのかもしれないが)。

そんな中「SP」というドラマが始まって--「おいおい、法相の発言はこの宣伝だったのかよ」と勘ぐりたくもなったのだが--、やはり設定に苦労しているのが面白い。初回、都知事を狙うテロリストは2人、「タクシードライバー」のパクリのような武器おたくと、東大法学部卒のオチこぼれ記者という、おおむね現在の国民が抱く反感の対象のイメージを集約したような人物造型である。
つまり政治的動機なんかはそこには一切なく、マニアと怨恨というごく個人的動機による犯罪なのだ。これをテロと呼ぶのは、いくらなんでもテロの拡大解釈である。
しかも彼らの背後には、じつはその個人的怨恨を利用して犯罪を計画する謎の組織が存在するらしいのだが、これまた冗談みたいな話で、そもそも本気で素人をテロの手先に利用するなら、ナイフやピストルなんて不確実な得物でなく、IRAやアルカイダのように爆弾を使用するに決まっている。おそらく謎の組織とやらも所詮「ごっこ」の域を出ないのだろう。

そんな訳で岡田クンと真木よう子好きとしては「SP」を贔屓にしたいところだが、残念ながら「ガリレオ」と大差ない「カッコつけてるだけ」という印象なのだった。
しかしまあ、日本の政治やTVドラマなんていうのは、おおむねこんなものである。平和でとてもよろしい。それよりも「トリック」の山田奈緒子さんの復活あるかも? という情報の方がボクにはよっぽど嬉しかったりするのだった。