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2007年06月23日

●舞妓Haaaan!!!

今日、のほほんと電車に乗っていたら、ナショナルという電機メーカーのエコ広告が目に入った。正確な文面は憶えていないが、おおよそ「エコといえばシロクマやペンギンについて考える、想像力豊かな人でありたい」云々といったコピーだったと思う。しかし、エコといえばシロクマやペンギンって・・・、それってむしろ「想像力の貧困」そのものなんじゃないの?
そういや富士通は最近までトウモロコシを原料にしていることを自慢げに広告で流していた(まだ流れてる?)が、それによって穀物の高騰が起こるという「想像力」は働かなかったのだろうか?
パーム油にせよ、植物を工業原料や燃料に使用するのは、なにか根本的な錯誤がある気がするんだけけど、日本の電機メーカーも大手広告屋も、環境問題について本当に真剣に思考し追求する気があるのだろうか? 単に流行に乗ってるだけじゃないのか? と、こう広告を見ると逆に疑問に感じてしまったりする。
(以下ネタばれあり)

高校時代からの舞妓オタク(阿部サダヲ)が初めてお茶屋に向かうって大切な場面で、その主人公が「一見さん」という言葉の意味を知らない・・・。
これってちょっと、クドカンの脚本らしからぬかなり杜撰なプロットなのだが、しかしこの「一見さんお断り」というシステムがこの映画の重要なポイントなのである。
ストーリーの要約はやめておくけど、主人公は「一見さんお断り」システムの「大人の社交場」で野球拳をして遊ぶ、というのが念願である。
ある意味で、それは「白い巨塔」の財前教授の野望にも似ているし、この映画にちらっと顔を見せる故・植木等の「無責任シリーズ」のそれにも似ているともいえるが、おそらく「舞妓Haaaan!!!」の主人公が彼らと異なるのは、「大人」のシステムの確固たる実在などかけらも信じていない点にある。
阿部サダヲには「無責任」という自覚(シニシズム)すら感じられないのである。
ビジネスもプロスポーツも映画も政治も、すべては要するに幼児にとっての「お遊戯場」(=大人計画)にすぎない。
だがこのナンセンスには、たぶん辛辣な「復讐」の快感が秘められている。

何に対する「復讐」か?
もちろん「大人」に対するそれである。
「大人の社交場」とは一種の「公共空間」であり、金丸信あたりが勢威をふるっていた頃までは存続していたのだろう(よくは知らないけど)。
イメージとしては、たとえば旧「白い巨塔」の金子信雄や小沢栄太郎や中村伸郎といった芸達者な老人たちが利益配分の密談(調整)をしている場、という感じ。
グローバル資本主義以前の、「規制緩和」以前の、おそらくすでにパロディとしてしか存在しない世界である。

主人公のライバル(堤真一)が京都市長となって打ち出す「一見さんお断り」廃止という政策は、しかし最終的に破棄される。
とはいえそれも、舞妓さんたちの発表会に突如堤が乱入して発表するという、「公共性」を破壊するやり方で発表されるのだ。
実際には、伊東四朗が最後に慨嘆するように、「京都はもうお終い」なのである。