« 「深夜劇場へようこそ」終了、vsマレーシア(U22) | メイン | 『述』(近畿大学国際人文科学研究所紀要、発売:明石書店)発売 »

2007年03月21日

●『藤森照信の原・現代住宅再見3』

「中学生日記」の黒川先生が「卒業」してしまった。悲し。黒川先生に会えるのを楽しみに毎週見てたのに…。まあ、4月からは「帰ってきた時効警察」の三日月くんに再会できるとはいえ…。

ACL第2戦、川崎フロンターレは試合の入り方に失敗して予想外の失点、終盤にオウンゴールで追いついて1-1と最悪の結果だけは免れた。試合後のインタビューで関塚監督も答えていたが、序盤の失点は主にメンタル・コントロールのミス、しかも失点に面食らって浮き足だってしまい、シュートが満足に枠に飛ばなくなってしまった。これは(プレーヤーが経験不足なのはわかっている以上)8割がた監督のミスと言われても仕方ない。関塚監督はとぼけていたが、内心忸怩たる思いだろう。
結局プレーヤーだけでなく、指導者も国際経験が不足しているのである。ガンバの西野監督も同様だが、ACLで結果を残さない限り、代表監督を日本人にという期待はしばらくかなわないままだろう。

(…なんて書いたら、浦和も開始1分でいきなり失点してやんの。やれやれ。ホームのチームが序盤ラッシュをかけてくるのは、ある程度想定しておかなくてはいけないと思うのだが…。ナイーブと批判されても仕方ない。まあ、各年代代表で国際経験のあるプレーヤーが多い分、チームとして早めに立て直せたとは思うけど。)

今回の『藤森照信の原・現代住宅再見』(TOTO出版)のラストで取り上げているのが「西沢立衛の「森山邸」」。
藤森氏は写真のキャプションにこんなことを記している。

かつて赤瀬川原平は、町の中のあっちに階段、こっちに玄関と、諸機能が散在するする住宅イメージを思いつき、分離派住宅と名づけたが、赤瀬川の20年以上前の妄想は、ここに実現。

「森山邸」の各機能――つまり浴室とか縁側(!)とかが独立した家屋として敷地内に分散配置されているというわけで、それを赤瀬川氏のかつての「妄想」に類比している、ということだ。

赤瀬川氏の「妄想」というのは、尾辻克彦名義で1981年に発表された短編「風の吹く部屋」(『国旗が垂れる』(中央公論社)所収)に具体的に記述されている。
詳細は直接小説にあたられたいが、主人公の「私」と娘の「胡桃子」の家、というか「四畳半」の部屋から、スリッパ履いて、中央線に乗って、高円寺にある「お風呂」(銭湯ではなく、自分ちのお風呂)に入りにいく、というお話。
どうやら家の各パーツが分離独立しているのが当たり前、という世界観らしく、台所や便所や床下(?)や縁側(!)が不動産屋で賃貸に出されている。

この小説について、すが秀実氏が発表当時すでに「『抱擁家族』の系譜に属するものでありながら、しかし、その系譜自体をついには破壊してしまうような画期的な小説」(「家=系の破壊」、『メタクリティーク』(国文社)所収)と評価しており、小島信夫との関連を指摘しているのも明察だと思う。
2月14日のエントリーでも触れたように、『抱擁家族』が60年代のnLDK型住宅の量産化が背景にあるとすれば、「風の吹く部屋」は70年代後半からすでに始まっていた「リビングのある家」(西川祐子『近代国家と家族モデル』吉川弘文館)の解体を暗黙に背景にしている。
西川氏によれば、日本初のワンルーム型のマンションが出現したのが1976年なのである(詳細は『近代国家と家族モデル』の第1章を参照されたい)。

ただし、「尾辻にあっては「家」という物語の各項としての部屋や筋としての廊下が有機的に全体化されていない」(「家=系の破壊」)というすが氏の指摘につけ加えることがあるとすれば、この短編が「有機」性の「破壊」と同時に、時代錯誤的(アナクロニック)な生活への郷愁が強調されている点だろう。
「風が吹く部屋」冒頭の一節。

目の前で胡桃子が眠っている。わが家の四畳半の食卓である。この四畳半は本来は胡桃子の部屋である。窓際に黄色い勉強机が置いてあり、その横の柱には赤い革のランドセルが掛けてある。だけど夕食のときはこの部屋が食堂になり、私は炊事係で胡桃子はお膳係だ。夕食のあとはお膳を横に片付けて、夜はここが胡桃子の寝室になる。いまはまだその寝室になっていないのに、胡桃子が食卓で居眠りしている。

ここで表象されているのは、西山卯三が「食寝分離」論を提出する以前の、日本的の伝統的な家族の雑然とした長屋くらしである。
世界的な文脈での「ポスト・モダン」の力点が歴史性(=「系」)の破壊=「脱構築」(磯崎新の「つくばセンタービル」のような)にあったとすれば、こちらは「ポスト」がなんの躊躇もなく「近代以前」に回帰・接合されているという点で、80年代日本の様々な分野で見られた日本型「ポスト・モダニズム」の一つの典型だったのかもしれない。
「森山邸」との絡みで言うと、この種の「破壊」性が「持ち家」「敷地内」として実現されたということは、いずれにせよ「ポスト・モダン」が完全に文化的正統イデオロギーに回収されたことを意味している。