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2007年02月14日

●鈴木成文『五一C白書 私の建築計画学戦後史』

昨日、仕事机の下の方を片づけていたら、今年付の未送付の年賀状(しかも宛名しか書いてない)が大量に出土した。
年賀状、出し忘れてた…。
ま、忘れたのはほとんど仕事関係以外のプライベートな宛先だけだったので助かったけど。
…ということで、届いていない友人の皆様には、ここで改めて申し上げます。
明けましておめでとうございます。
(…って、遅せえよ)

先日逝去した小島信夫の、やはりこれは傑作と呼ぶしかない『抱擁家族』(講談社学芸文庫)について、江藤淳の高名な『成熟と喪失』(講談社学芸文庫)は、「「父」もなければ「母」もない、ただ「家」という人工的な環境がのこされているだけだ」(186p)というのだが、江藤がこの長編評論で展開している疑似・精神分析的な見取り図があまりに通俗社会心理学系「トンデモ」本に似すぎている、という事実は、しかしこれまでどれほどか語られてきたのだろうか?

「成熟するとはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認することだからである。だから実は、母と息子の肉感的な結びつきに頼っている者に「成熟」がないように、拒否された傷に託して「母なし仔牛」に託してうたう孤独なカウボーイにも「成熟」はない。」(32p)

上記に限らず『成熟と喪失』のどのページでもいいのだが、江藤はエリクソンに依拠していながら、明らかに精神分析における「去勢」という概念の重要性を理解していない。
しかし、これは江藤の単なる「無知」ではなく、むしろ精神分析的な「否認」に由来するように思われる。
つまり、江藤における「成熟」だの「治者」だのいったタームは一種の「ファンタスム」にほかならず、テキストは著者の心的な防衛作用の場でしかないのであり、要するに、ここでの江藤の分析じたいが「素朴実在論的な世界の崩壊を認めまいとするあらゆる心理的な屈折と自己防衛の姿態を示している」(244p)ということである。

実際、(これまたフロイトには関心がないらしい)上野千鶴子氏のような社会学者までが「涙なしには読めない」「「日本近代」に固有な、ねじれた「エディプスの物語」」などと(どうやら本気で)記してしまう『成熟と喪失』という著作が後世に与えた悪影響については、いずれ誰かがきちんと検証してほしいと思うけれど(そのなれの果てのような連中が「ジェンフリは日本を滅ぼす」とかヌカしてるわけだ)、しかしここではべつに江藤を腐すために書いているのではない。
そうではなくて、『抱擁家族』の描く1960年代前半の日本の「家族」像とは、正確にはいったい何だったのか、という問いの端緒について簡単にメモを残しておくのがここでの目的である。

  *

鈴木成文氏について、こんなブログで素人がしたり顔で解説するのは面映ゆいので『五一C白書』(住まいの図書館出版局)に直接当たってほしいが、話の都合上仮に説明しておくと、戦後の住宅設計の方向性を“ある意味で”決定してしまった「51C」(1951年度公営住宅標準設計の最小規模案)の原案を作成した吉武研究室のスタッフだった方である。
ただし、この「ある意味で」の意味を語るために、鈴木氏はこの著作を書き下ろしたといってもいいのかもしれない。
つまり、「51C」が高度成長期以降の「nLDK」型住宅の原型となった、という通説に対して、鈴木氏は「51C」と「nLDK」の断絶を強調するのだが、じつは1965年に出版された『抱擁家族』の時代背景は正確にこの「断絶」の時期に重なっているのである。

「51C」は「日本の都市居住の最も貧困な状況から復興への胎動の時期であり、同時に戦前から受け継いできたいわば前近代的な生活をいかに合理化するかということが中心課題」だった、と鈴木氏はいう(357p)。
それに対して「高度経済成長期には、新たに大きく膨れあがったいわゆる「新中間層」の住生活・住意識に対応する住まいが要求されると共に、住宅の大量建設や団地やニュータウンの建設が社会的に強く要請され、これに応じて工法や住居プランや住居集合計画などがテーマとされ」、こうした住宅の商品化に伴って「nLDK」が蔓延した、ということになる。
つまり、住の「合理化」から「大量生産」へと、国の住宅政策が大きく変換したのがこの時期だった、とひとまず考えることができる。

日本の住居の「戦前から受け継いできた前近代的な生活」とは、零細なスペースに多人数が雑居し、生活の乱雑や混乱の因となっている「畳の部屋の連続した開放性」を指す。
すなわち「51C」の「合理化」は、「食寝分離」論に影響された平面の機能性を戦後の住居にもたらしたのだった。
そして「51C」の4年後、日本住宅公団が設立され、朝鮮戦争の特需景気を経て、日本はようやく貧困の最底辺から抜け出す。

「この「朝鮮特需」が日本の景気振興に大きく寄与し、これが高度経済成長の起爆点となって、都市への人口集中、膨大な住宅需要の発生、零細アパートの叢生、大規模団地の形成へと繋がります。つまり日本の住宅建設の発進は、あまり素性の良くない経済を契機にしていたということになるのです。」(147p)

この住宅建設ラッシュは、「新中間層」と呼ばれる勤労者層に、戦前とはまったく異なる生活スタイルをもたらした。
それは具体的には、「公共住宅とは別に個人小住宅の建設が行われるようになったのは戦後の現象」であり、要するに遺産相続者であった戦前の「家長」と異なり、多くの『抱擁家族』や『夕べの雲』の主人公たちは、住宅ローンを支払い続けることを人生の最終目標にせざるを得なくなった、ということである。
(しかしまさか、それが「『治者』の不幸」であると?)

鈴木氏が「興味深いデータ」として挙げているものに、1955年から65年の10年間に勤労者世帯の家具に関する家計支出が4・7倍に達している、という事実がある。
さらに、住居内の居室面積に対して家具の占める面積が53年から67年の間に20%から30%へ、つまり1・5倍にも達している、というのである。

「生活の洋風化の波にも乗って、ソファ、テーブル、飾り棚、ステレオ、テレビなどが侵入しました。それらがDKに接する畳の部屋に置かれ、しばしばDKとの間の襖は取り払われて一体化し、次第に洋風居間(リビング)の様相を呈します。何しろ終戦直後からのアメリカの占領政策による文化攻勢はすさまじく、雑誌、映画、漫画などが夥しい勢いで流入しましたから、アメリカは進んでいる、洋風化は進歩だといった感覚を人びとは植えつけられていたのです。」(152p)

もはや明らかだと思うが、『抱擁家族』のあまりに高名な書き出し、「三輪俊介はいつものように思った。家政婦のみちよが来るようになってからこの家は汚れはじめた、と。そして最近とくに汚れている、と。」というのは、この当時の住環境に対する端的な感慨である。
(ただしこれが文字通り「転倒」した感慨であるのは、家政婦が来るようになってから「この家は汚れはじめた」のではなく、「汚れはじめた」から家政婦がやってきたためである。もちろんこの認識の「転倒」をして、人はそれを「文学」と呼ぶ、ということなのだが。)

三輪の妻の愛人であるアメリカ人のジョージとは、生活の具体的な「洋風化」のあまりにも端的な形象に他ならないだろう。
だから、「三輪夫婦が、「家の中」の「たてなおし」にあたって、郊外に「カリフォルニアあたりの高原の別荘のよう」な、完全冷暖房つきの豪勢な家を新築しなければならない」(『成熟と喪失』59p)のは、江藤が憶測するような深遠めかした疑似・精神分析的な原因以前に、何よりもまず家庭に「侵入」し溢れかえっている「洋風」家具の整理のためである、と率直に断言すべきなのだ。

江藤が「アメリカ」というシンボルに見るのは「父の文化」である、と上野氏はいう(『成熟と喪失』275p「解説」)。
だが「洋風」家具とは、それは断じて「父の文化」ではなく、「専業主婦」の所有物なのだ。
そしてもちろん「専業主婦」という存在も、この時期に出現したのである。
おそらく高度経済成長後の「家族」に生じたのは、江藤を敷衍する上野氏のいう「近代化」に起因する「母性の自己破壊」ではいささかもなく、むしろ「母性の自己肥大」というべき事態であるのは明らかではないだろうか。
(もちろん「女性原理」なるフィクションを「母性」と同一視さえしなければ、の話である。しかしここで上野氏が「産業化が女性原理を最終的に破壊する文明過程であることは、イリイチの『ジェンダー』を俟つまでもない」と卒然と記すとき、なぜこうも粗雑な論理を展開するのだろうか。「たかが文学」にはこの程度で十分、ということなのだろうか。)

『抱擁家族』の世界に完全に欠落しているのが「国家」である、と江藤はいう。
だが、その認識は「『治者』の不幸」と呼ぶにはあまりにナイーヴな、あまりに偏狭な図式化にすぎないし、率直にいって江藤の描く「自然」と「近代」の対立という通俗性には辟易するしかない。
「自己の内外におこりつつあることから眼をそらし、結局現代を無視」(『成熟と喪失』244p)しているのは、小島信夫ではなく、むしろ江藤淳だろう。
『抱擁家族』において、「国家」は不在であるどころではない。
それは江藤の杜撰な図式よりも正しく「リアリズム」であり、この時期の「国家」政策の転換点を正確に印した、鮮明な、率直な反映である。
もし「文学」という認識の「転倒」を批判したいのならば、おそらくこの「事実」から始めなければならないのだ。