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2007年02月06日

●東京都美術館『オルセー美術館展-19世紀 芸術家たちの楽園』

真鍋かをりちゃんが「イイ!」と言うので、「高気圧酸素カプセル」なるものを体験してみた。
その設備は一見SFとかでお目にかかる「冬眠用の冷凍カプセル」である(実際、閉所恐怖症の人はお断りだそうな)。
で、まあ、1時間ほどカプセルに閉じこめられてみたのである。細かい酸素分子が毛細血管の隅々まで行き渡る由。
しかし術後は、正直なところ、そう大した効果は感じられないように思えた。
だがその数時間後、酒を飲みに行ったら、なんかかつて体験したことのない感覚。
寒い日に熱燗なんぞを啜ると「五臓六腑に染み渡る」と表現するが、五臓六腑どころか、指先爪先までアルコールの微粒子がサササーッと微細血流と共に流れていく・・・(気がする。)
う~ん、これはスゴイかもしんない。
今後、われわれオッサンの集まる飲み会では、
酸素カプセルで酸素補給→鍋or焼肉で腹ごしらえ→スパ(温泉)で腹ごなし→バーとか居酒屋でゆったり飲む
というコースを推奨しよう。
ただし、これだと時間的に翌朝まで飲み続けるハメになるわけだが。

最近、たまたまミシェル・フーコー『マネの絵画』(筑摩書房)とジル・ドゥルーズ『意味の論理学』(河出文庫)を同時に読む機会があったので、ふと気になってマネと(『意味の論理学』の主要な登場人物の一人である)ルイス・キャロルのプロフィールを調べたら、マネの生年が1832年1月23日、ルイス・キャロルが1832年1月27日と、たったの4日しか違わないまったくの同時代人だったのを知って、やや茫然としたのだった。

ついでに言うと、マネの出世作であり代表作でもある『草上の昼食』が1863年、『オランピア』が1965年、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の発表が1865年、その初稿が書かれたのが1863年というのだから、これは何かただごとではない気がする。
つまり、ドゥルーズ『意味の論理学』が1969年に発刊され、フーコーのマネ講義が1967年から71年に行われたという事実は、この二人が当時親密な友情を保っていたことを考えると、ただ単なる「偶然」で済ませられるのかどうか。

ドゥルーズによるキャロルの「表面」、フーコーによるマネの「平面性」という、主題的にも極めて強い類似を示しているこの二つの著作を敷衍していうと、つまりこういうことだ。

ドゥルーズ(=ストア派)によれは、「木は緑である」ではなく、「木は緑化する」という言うべきである。
「感覚的色や形質としての緑から、われわれは、ノエマ的色や属性としての「緑化すること」を区別する。木が緑化する、は究極的には木の色の意味ではないだろうか。」(『意味の論理学 上』49p)

われわれの視覚が認識する色彩とは、単なる物の「特質」ではない。それは光によって刻一刻と変化していく。色彩は物体が光を反射する波長の差異の総体である、という事実を発見したのは絵画における「印象派」、わけてもクロード・モネだった。
モネによる「ルーアン大聖堂」(1893年)では、対象はすでに堅固な実体性を失い、その表面でさながら陽光を乱反射する雲の塊のようだが、この感性=認識はある意味でフッサール的な「現象学的還元」と比較できるのではないか。
(モネが「睡蓮」連作を描き始めたのは1899年、フッサール『論理学研究 第1巻』刊行が1901年)

そしてそのモネについて、セザンヌ(「ギュスターヴ・ジュフロワ」1895-96年)は「何という眼だろう! しかし眼にすぎない」と語ったのだった、まるで「キャロルのすべてを引き替えにされても、われわれはアルトナン・アルトーの1頁も与えないだろう」(170p)と記したドゥルーズのように。
(セザンヌにおける「表面」(=色彩)と「深層」(=実在)の対決?)

マネ(「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」1872年、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのような柔らかな美しいライティング!)は、その後の印象派を可能にした「意味=出来事」の「表面」を発見した、と言うことができるのだろうか。
(フーコーの未完のマネ論のタイトルは「黒と色彩」だったという。色彩の論理学における「特異点」としての黒・・・)